道北の急行列車の最後は、天北札幌到着後の最後部のテールマークから。
撮影条件が厳しく、もう少し明るくするとテールマークが飛んでしまう。難しい。
伊納での撮影後に、旭川へ戻り、1700→1901札幌で、上り急行天北に2時間乗車。
到着後に撮影。明かりがともるテールマークは素晴らしい。思わず見とれてしまう。
自分の撮影対象は、いわゆる寝台特急等と正反対な車両が中心から始まっていた。
そのため寝台特急の積極的な撮影は無し。しかし北海道で14系客車も撮影していると、
それらを撮影していた人の気持ちも、少しずつ分かって来たような感じになっていた。
急行天北は、札幌/稚内間の走行ではあるが、天北線・浜頓別経由となっていた。
下りも上りも日中の11時から正午頃に始発駅を発車、夕方に終点に到着となっている。
一般の旅行者の方でも、当時道北へ行った時は実際に利用した方も少なくないのでは?
例えば、下りは夜行利尻、上りは天北で、浜頓別で降りず天北線内は直通利用など。
当時、急行列車も走る天北線廃止になった等のコメントがあったことを覚えている。
それだけ天北線では、急行天北の印象が強烈であったように思える。
急行宗谷の時刻変遷と、編成を以下にまとめた(JTB時刻表から、※は追記)
14系客車になって、所要時間が伸びたことは宗谷と同じ。江別/美唄/砂川の3駅の
通過処置がとられたのは、所要時間増加を少しでも抑えるためと思われる。
以下に編成を簡単に記載です。
キロ26を含む5両(キロ26は下り側2両目)
上り札幌側2両は札幌/名寄間増結で7両
キロ26を含む5両(キロ26は下り側2両目)
上り札幌側2両は札幌/名寄間増結で7両
・JTB時刻表1985/03、1986/03:303/304レ、札幌/稚内
6両 ※14系客車、303レは、上り側2両はB寝台車の座席利用
※なお、303レの上り側2両目のB寝台車の一部はG車として使用あり
304レは5両 ※14系客車
303レは6両 ※14系客車、上り側2両はB寝台車の座席利用
参考:JTB時刻表
1982/09、1984/07、1985/03、1986/03、1987/06
今回で、道北の急行列車は終了となります。
次は、道北の普通列車、(その他)を予定します。
自分の場合、道北で一番の目的は、スハフ32を連結した324/321列車でありました。
それは1982年だけですが、それ以外は、50系客車、キハ22/キハ40その他になります。
資料整理や画像修復で時間が空くときもあるかと思います。
どうかよろしくお願いいたします。