ブログ開始から1年半経過、現在山陰線から中国地方の列車や車両を順に掲載となっております。特に当時の廃車待ち留置車両の撮影画像を見ると、現役稼働中に行けばよかったとの思いが発生です。しかし、もう少し冷静になって思い起こすと、どうだったのでしょうか?
中国地方の撮影となると、宇部小野田線、可部線、福塩線の旧型国電が最優先撮影対象であり、その行程の合間に多少とも追加での他の撮影画像があるか、という状態に改めて気が付いてしまいます。そのころの山陰線では旧型客車の普通列車が東から西まで多数存在しており、その有り難味がわかっていなかったようです。そのため山陰線旧型客車の撮影は最後の2年程度が大半。
支線も同じで、尼崎港と和田岬は撮影画像がありますが、高砂と飾磨港は撮影画像が皆無。岩日線、可部線三段峡、本山支線は画像があることはありますが、しかし若桜線、倉吉線、大社線、仙崎支線、大嶺支線、等は1往復しておりましても撮影画像が全くない状態で、本当に困ったモノです。
加悦、別府、一畑、岡山臨港、水島臨海は乗車で撮影画像はある程度存在しますが、柵原と川西国鉄前は一度も行かず、本当にもったいなかったです。
結局、主目的や優先対象はそれなりに行って撮影も行なっていましたが、そうではない場合は最低限1枚だけの画像すらないこともありました。あえて日程を割くことまではしなくとも、1ショット2ショットでも簡単にシャッターを押しておけばよかった反省は、今更ながら思いますね。今ではデジカメは普通であるから、お金のことは気にする必要はなく迷わず撮りましょう、です。
逆に、主に撮影に行った時の画像をみて思う画像が見つからず、諦めていたところ、他の画像を調べていたら、たまたま撮れていたということもありました。
これは、主に東京の国電区間の車両の撮影画像になります。
行ける時に行っておこう、撮れるときに撮っておこう
来る列車は拒まず、いい位置にいたら撮りましょう
「目の前に目的の列車ではなくとも、いい位置にいたらシャッターを押すべき」
これは、大昔に先輩から言われた言葉です。
「ここでシャッターを押さないと、運が落ちるよ、列車の神様がお怒りになるよ」
これも、大昔に言われた記憶があります。
こんなことを思い出しながら、画像復元とデーター整理を行なっております。
現状では整理が追い付かなくなりつつあり、掲載間隔を少し広げることになりそうです。
そのときはどうかよろしくお願いいたします。
2025/10/12 issuinoyume
とりあえず開始して、1年少し経過しました。飯田線の思い出から初めて、湘南気動車、
北海道、南武支線、まで来て、現在は三池鉄道で色々と悪戦苦闘している状態です。
一般の方であっても多少とも楽しめるかもしれない北海道の撮影画像とは大きく変わり、
南武支線、さらに三池鉄道は、いわゆる嗜好性が極めて強いと思います。従って、興味
がある方とない方で分かれるかもしれません。特に三池鉄道ホハ200はなかなかの曲者。
その関連した調査と自分の撮影紀行を合わせて編集中ですが、思った以上に大変です。
そしてその調査結果だけではなく、自分が当時見て感じた点も再現して、皆さんと一緒に
例えば、当時のホハ204に便乗できたその雰囲気等も感じていただきたいと思っており、
順に編集しております。
当時の自分の撮影フィルムを見て改めて感じたことは、撮影対象は自分の好みである、
ということ。当たり前ですが今回の三池鉄道ホハ204等はその典型。メジャー/マイナー
関係なく、周りの雰囲気にのみ込まれず、興味があるものに集中してしまう傾向です。
もちろん、来る車両は拒まず、撮れるうちに撮っておこう、は実施でしたが消極的です。
従って、当時よく知られてはいたがほとんど撮影がない列車等は、いくらでもあります。
特に嗜好性が高いマイナーな対象の場合は、見ていただける方からは、どうも・・・との
反応は十分ありえると思います。その時はせっかく来て見ていただいたのにもかかわらず
御期待に沿えず、大変申し訳ございません、ですね。
今後は整理が終わった対象から、順不動に、となると思います。
どうかよろしくお願いいたします。
2025/03/28 issuinoyume
利尻/礼文/宗谷/天北、道北で列車撮影経験の方は、忘れることなく思い出すはず。
40年ほど前の国鉄では、稚内行は特急なく、急行が夜行含めて4往復存在していた。
それぞれ名称があり、それぞれ特徴があった。そのため色々な思いがよみがえってくる。
現在では廃止や統合、そして特急化で宗谷とサロベツになったが、宗谷は未だに現役。
道北へは1987年が最後のため、キハの丸型ヘッドマークは、自分は見てはいない。
しかし2024年夏、小湊鉄道の夏のイベントで、順に天北/利尻/サロベツ/宗谷、を
JR東から移譲したキハ40で観光急行として運行。ヘッドマークをJR北海道と協業で、
実際に取付けていた。これは一般の乗客向けではなく、どうも鉄道マニア向けと感じる。
今回順に、天北、利尻、宗谷、を簡単に撮影となった。このイベント列車と、40年ほど
前の道北の急行列車を順にまとめたいと思い、編集を実施。
なお自分は道東の撮影がはるかに多く、そのため道北の撮影画像が少ない列車もあり。
特に国鉄急行利尻は撮影画像が特に少なく、また時期的にサロベツは見ていない状況。
よってまずは7月に運行の小湊鉄道の急行利尻から。そして国鉄時代の急行利尻。
その後は急行礼文(小湊鉄道は無し)、急行宗谷、急行天北、の順で編集予定。
さらに道北の普通列車もその後に予定したいと思います。
編集で少し時間がかかるかもしれませんが、どうかよろしくお願いいたします。
2024/09/14 issuinoyume
とりあえず、一番最初に想定の1980年~1983年頃の飯田線旧型国電関係のまとめが、
半年かけて一旦終了となりました。正直、思った以上に時間がかかったと思います。
今後は身延線/大糸線/宇部小野田線、また1975年~1978年頃の飯田線も考えたいです。
なおそれまで、少し異なったテーマもあげてみる予定です。(キハユニ含む気動車他)
少し前ですが、2024/02/19の最初の1回目に、以下の文面を追加しました。
これは、自分の素直な気持ちです。よろしければ、同じように当時を知る方も、
自分以上に良く知っている先輩方も、これから気合を入れて撮影の若い方も、
皆さん一緒に国鉄末期の12年にご招待です。どうかよろしくお願いいたします。
以下、2024-02-19、飯田線旧型国電最後の力走1(50008/68403)に、
文面追加いたしました。
「今から40年以上も前の、古いポジフィルムから。当時自分が何回も通った飯田線。
旧型国電置換前の一連の撮影から順に抜粋。順不同で2両ずつ走行と停止画像を予定。
最初はクモハ50008/クハ68403の2両編成から。当時高価であったコダクロームKRの
再現は、まるでタイムマシンに乗っているかのように当時を思い起こされてくれる。
実家にしまい込んでいた当時のカラーネガ・ポジ、そして白黒ネガを順に復元開始。
そして、当時の時刻表(JTB1983/03他)、運用表(増補版飯田線の旧型国電P64/65)、
飯田線列車ダイヤ(復刻版旧型国電&国鉄客車ガイドP22/23)、国鉄電車編成表
(78~83)、等も一部追加購入して、当時の行程の再現を実施。40年以上前の画像再現
に加え、出来る範囲で当時の行程から雰囲気まで再現を継続したいと思います。
2024/08/17 issuinoyume
「四十余年、一睡の夢、一瞬の出会い、一枚の写真」
上杉謙信の詩の再編ですが、40年前のフィルム復元で当時を思い出した時の気持ちです。
当時気合をいれた撮影ほど、時に強烈に思い出してしまい、鮮明な夢の様にも思えます。
一生のうちの一瞬の出会い、しかしその写真は、自分には忘れることができないもの。
元々撮影技術が高くなく、またゴミ傷や彩度色相劣化で、無残なコマもありました。
それでも少しずつ復元、順に編集開始です。もし、よろしければ、順にご参照ください。
なおSL乗遅れ組です。時期的には旧型国電や旧型客車の国鉄末期12年ほどになります。
内容は、自分の好みで相当偏っておりますので、ご了承ください。
当面は昔の画像再現を継続から行ないたいと思います。まずは旧型国電飯田線から。
どうかよろしくお願いいたします。
2024/02/19 issuinoyume
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