一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線旧型国電 救援車91(21009)

1976/08/14 飯田線 伊那松島機関区、クモエ21009

 救援車は、事故発生時などで復旧に必要な資材を車内に積込んだ、事業用の車両。

側面の大きなドア以外にも、左側の増設運転室の正面大ドアからも資材搬出が可能。

画像の左側、増設運転室下に②があり、こちら側が主運転室で第1エンドとなる。

すなわち、上り向きの奇数車の扱いになる。なお2位4位側の床下は空気側に見える。

 正面増設運転室側下の白△マークがよく目立つ。行先表示板にはどんな表示の実績?

臨時?救援?工場入場などでは回送?営業列車に併結なら純粋な行先表示も使用あり?

勝手な妄想ばかり。変色のカラーネガからであるが、正面白△は特に印象的であった。

 

 ちなみに、1975年と1976年(上記の撮影)で伊那松島機関区で、許可の下で撮影。

後ろにED18 1がみえる。同行の年上の方は、旧型電機の方が先に廃止、と言っていた。

こっちも撮っておいた方がいいよ、とも助言。

 「行けるうちには行っておこう」

 「取れるときには撮っておこう」

目の前に「撮ってください」としか言いようがない位置で車両が停止していたら、

それがお目当ての車両ではなくても、とりあえずシャッターは押した方が良い、とか。

少し上の先輩でも年配の方でも、本格的に撮影していた方はよく似たようなことを

自分に言っていた。そうかなと思いながら、当時ED18やED19も来たら撮っていた。

しかし飯田線165系や119系などは、もちろんPASSはしなかったが、・・・です。

結果、クモユニ147連結の119系は、意外と期間が短かったなど、いろいろありました。

 

 

1981/07/25飯田線 伊那松島機関区、クモエ21009

 この頃は増設運転室正面の白△マークがなく、しかしかえって大きなドアが目立つ。

なお、②が増設運転室下に見えるため、こちら側が主運転室第1エンドのままである。

 

1983/03/05飯田線 伊那松島機関区、クモエ21009

 増設運転室側の運転室下に②が見られない。パンタグラフのある側の運転室下に〇。

ということは、増設側は主運転室ではなくなる。物理的ではない方向転換の可能性?

ちなみに、背後にはED18やED19ではなく、ED62が見える。

 

1983/08/06飯田線 伊那松島機関区、クモエ21009

 側面反対側、こちら側が電気側になりそう。同じく右側増設運転室側下に①がない。

 

1983/08/06飯田線 伊那松島機関区、クモエ21009

 元からの運転室下に②が見られる。1983年ではこちら側が主運転室で第1エンド。

下り向き偶数車扱いになる。1981年9月の浜松工場入場時に、変更が行われた可能性?

 しかし、両側運転室の車両で、あえて変更(元に戻す)必要があるのであろうか?

 

1983/08/06飯田線 伊那松島機関区、クモエ21009

  クモエ21009←11235←31061(1940年製)

 

 以下は部外者の自分の勝手な推定であり、間違いであれば申し訳ございません。

(その場合は後ほど削除か訂正させていただく予定であります。)

 

 クモハ11235(上り向き奇数車と推定)が救援車クモエ21009に改造時、方向転換。

まずこれが最初の前提になるが、物理的に方向を逆転せしたという考え方になる。

 運転室がない第2エンド側を大改造で、資材搬出に便利な大ドアを正面にも設置。

増設運転室大ドアは、山間部の狭いエリアでの資材搬出で横ドア使用不能時を想定。

この場合、伊那松島機関区配置なら、増設運転室は必然的に上り側が使用しやすい。

この時、増設運転室の方を救援車として使用するために、主運転室扱いにした可能性?

 

 ただし末期は活動の機会がなく増設運転室の機能を縮小、主運転室を戻した可能性?

もしかしたら末期は増設運転室は簡易運転室的な扱いになった可能性等、でしょうか?

 

 まったくの錯覚の可能性もあります。

詳細ご存じの方が居りましたら、ご教示をお願いいただければありがたいです。

 

 

  参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、

  国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(下)、飯田線の旧型国電 増補版

 

 

 次はクモニ83/クモニ13予定ですが、まとめと確認にかなり難航しております。

そのためしばらく休みで、次回は5月上を予定しております。

どうかよろしくお願いいたします。

 

 

 

  

飯田線80系普通電車12

1982/11/28 飯田線 川路/時又、241M 伊那大島行、クハ85104
川路発7:52、日曜のため上片桐行ではなく伊那大島

 クハ85は主に豊橋/水窪間で、朝夕の6両編成の下り側附属2両で使用されていた。

ところが、末期では4両編成に組み込まれていた時があり、北部でも走行の機会あり。

同じ日、1時間以内に、クハ85104と108が順に現れて、ほぼ同じ構図で撮影となった。

上の画像のクハ85104は、助手席側後部3位側にあるトイレの窓が、灰色のガラス。

 

1982/11/28 飯田線 川路/時又、1224M 豊橋行、クハ85108
川路発8:43、まだ下り側クハ85も何とか陽があたっている

 それに対して、クハ85108は助手席側の後部3位側のトイレの窓が、白になっていた。

 

    クハ85104←サハ87303(1957年製)

    クハ85108←サハ87316(1957年製)

 

朝はこの区間では、下り側先頭車にも陽が当たるため構えていたため、撮影ができた。

北部のクハ85はこの時だけ。現れる時は現れるもので、出会いの運次第と感じていた。

 

  参考:飯田線の旧型国電(増補版)、旧型国電車両台帳

     時刻表 1982/09

 

 

 

飯田線80系普通電車11

1982/03/16 飯田線 大海/鳥居、632M 豊橋行、クハ85108

 1978年の旧型国電半数置換では、豊橋機関区に80系300番台が配属となった。

そのうちクハ85も2両配置。同じく300番台サロ改造車かと錯覚、結果はサハ87改造車。

クハ85104とクハ85108の2両、どちらもサハ87の300番台の運転室増設改造車になる。

サロ/サハ85改造車がクハ85なら、サハ87改造車はクハ87ではないかと議論した記憶。

クハ85100番台は、サハ87の300番台以外もあり、混在していた。臨機応変の対応?

 80系は、基本的には、クハ86/モハ80/モハ80/クハ86の4両編成で運用されていた。

それ以外に朝夕の増結用で、下り偶数向きに2両、モハ80/クハ85が増結されていた。

80系でも2両運用を行なうので、これを一度は撮っておきたいと思ったのが上の画像。

朝は上り628Mと632Mで使用、以前はクモハ52が入った4両+2両の運用に該当する。

 クハ85は、基本この南部区間の6両編成に限定で使用されていた。

 

 クハ85108←サハ87316(1957年製)

 

1980/07/20 飯田線 東上、632M 豊橋行、クハ85108

同上

 

  参考:飯田線の旧型国電(増補版)

     時刻表 1981/12

 

 

飯田線80系普通電車10

1982/03/16 飯田線 湯谷/三河槇原、631M 中部天竜行、クハ86332

 80系普通電車9の続き。同じく三河槇原付近での撮影。これは少し上り寄りになる。

やってきたのは、シールドビーム2灯火改造のクハ86332。103系ではよく見かけたが、

300番台とはいえクハ86のシールドビーム2灯改造車とは、画像を見てやはり違和感。

ただこの1枚しかなく、たまたま撮れたレベル。80系も変化があった車両も存在した。

 

1982/03/16 飯田線 湯谷/三河槇、631M 中部天竜行、クハ86332、上記の拡大です

 80系は、来たら撮る、来る者は拒まず、という態度で撮影していた状態であった。

そのため、もう少し積極的に撮影に取り組めばよかったと思うところもあり。

クハ86332は、まさにそんな思いの車両であった。

 

 

  参考:飯田線の旧型国電(増補版)

     時刻表 1981/12

 

 

 

飯田線旧型国電最後の力走25-2(53008/47009)

1982/11/27 飯田線 川路/時又、1221M 辰野行、
クモハ53008/クハ47009/クハ68412/クモハユニ64000

 今回はクモハ53008、あまり相性が良くなく、走行撮影ができた数少ない時になる。

午前10時前ではここでは下り側に陽が良く当たらず、厳しい撮影になってしまった。

川路を中心のその前後の区間は、水害対策で大きく変更、光景も大変化と思われる。

 

1980/07/20 飯田線 豊橋、1223M 辰野行、クモハ53008

 真夏のクモハ53008。大窓も含めて開けられている。冷房普及以前の夏の普通電車。

ノーシール・ノーヘッダーの大窓は、隣のクハ47009とは全く別の美しさを感じる。

よくこの年まで現役の状態で残っていたと思う。

 

1980/07/20 飯田線 豊橋、クモハ53008/クハ47009

 連結側第二エンド4位側から。通路上の通風機が残っていた。

1983/07/23 飯田線 中部天竜、クモハ53008

 クモハ53008は下り向き偶数車、製造から同様らしく、基本方向転換等はなし。

そのため助手席側1位3位側は電気側になる。抵抗器の位置が、助手席側1位側に注意。

偶数車の多くは、抵抗器は電気側連結面第二エンド3位側に配置であるが、異なる。

飯田線クモハ52002と52004が同様であった。別途身延線のクモハ51等で見られた。

どうも大阪配置の下り偶数向き車で、その後の改造がなければ見られるらしい。

 学生の頃の模型製作で、上り下り向きで一律に製作しかかったら何か違うと指摘。

結局よくわからず時間切れでウヤムヤにしていたが、思ったよりはるかに事情は複雑。

正直参っていましたが、yasuo_ssi様から助言をいただき、とても助かりました。

改めて感謝いたします。今回の一連のまとめが終わったら、見直したいと思います。

 

1983/07/23 飯田線 中部天竜、クモハ53008

 上記と全く同じであるが、CL画像があったので参考。露出不足でちょと厳しい。

 

1983/07/23 飯田線 中部天竜、クハ47009/クモハ53008

 同じく第二エンド連結面側の3位側から。同じく連結面通風機が確認される。

 

1981/07/26 飯田線 辰野、236M 沢渡行、クモハ53008

  クモハ53008←43040(1937年製)

 運転席窓上の通風機や、助手席窓上の運行窓等は、塞がれていた。

 

 これまで、最末期1983年頃の伊那松島機関区所属の48両を順にアップしてきました。

あとは、クモニ13/83等ですが、これが思ったより困難で少し時間がかかりそうです。

それに番外車両などを追加で、一旦区切りたいと思います。

 その後は一度画像の再整理と、画像改善等のレベル向上などを考えます。

 旧型国電では、飯田線の1978年の半数置換以前や、他の線区なども想定します。

あるいは、旧型客車や気動車等を順不同で、今度は少しずつアップしたいと思います。

 

 どうかよろしくお願いいたします。

 

 

  参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、

     国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版

     時刻表 1982/09、他

 

 

飯田線旧型国電最後の力走25(47009/53008)

1983/04/09 中央線 川岸/辰野、223M 茅野行、
クハ47009/クモハ53008/クハ47069/クモハ54110/クモハ53001/68404

  朝の伊那大島発の茅野行、辰野で後ろ2両増結で6両となり茅野へ向かう輸送列車。

最後部はクハ47009。この中央線乗入の6両編成は、2ドア車が4両も使用されていた。

 

 

1983/03/06 飯田線 伊那北、クハ47009

 旧32系クハ47のため、小窓の連続に目を奪われる。戦前の横須賀線の車両として、

当時のスハ32等の客車のイメージをそのまま電車にしたような印象を持っていた。

 

1983/04/09 飯田線 辰野、クハ47009

 先ほどの223M茅野行が238Mとして戻ってきて、辰野で2両切離しで夕方まで待機。

時間的には逆光と思われるが、天気があまりよくなかったからか、撮影はできていた。

なお6両の238Mは、辰野で2両、伊那松島で2両切り離し、2両で平岡行となっていた。

昼間の2両編成として走行撮影対象としていた238Mも、元は茅野発6両なのであった。

 

1980/07/20 飯田線 豊橋、クハ47009

  この日は真夏の晴れ、真昼前後の1222M/1223M、影が厳しい状態になっていた。

しかし逆に一番高いところから陽が差すため、2列リベットが強調されて撮れていた。

なお、元からのクハ47のため、トイレは助手席側後部連結面3位側である点がわかる。

もう1両のクハ47069は、サハ48の運転室増設車でトイレは運転席後部4位側で異なる。

 

1983/04/09 飯田線 辰野、クハ47009

 正面にもリベットの跡が、昭和一桁の風格のように見られる。

 

  クハ47009(1930年製)、もう1両クハ47069(サハ48015)とともに1930年製。

 

 以下はクハ47009とクハ47069の違いになる。(ただし最末期、~1983頃限定)

例えばクハ47069の1978年の撮影画像では、正面運転席窓は木枠のままであった。

最後の5年でも部分的な更新が実施されていたため、時期によっては微妙な点があり。

クハ47旧32系

 

 側面ではドア、正面では行先表示板等で区別可能、正面中央窓の高さの違いもあり。

クハ47069では客ドア4枚中3枚のドアガラスが2段になっていて、遠目でも目立つ。

なお、中央窓の違いは画像では結構微妙、それでも見た目で妙に069の窓が上がって

いて区別できた印象があった。強調された錯覚かもしれないが、いかがでしょう?

 

  参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、

     国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版

     時刻表 1983/03、他

 

 

飯田線旧型国電最後の力走24-3(64000/68412)

1983/05/04 飯田線 伊那大島/上片桐、261M 辰野行、
クモハユニ64000/クハ68412/クモハ53007/クハ68400

 今回は、1981/09浜松工場入場後の、茶色から横須賀線色になったクモハユニ64000。

連結相手は同じくクハ68412。旧型国電置換まであと2か月ほどの末期のころになる。

上のコダクロームKR撮影画像は、少し緑っぽい印象、劣化で色相が変わった可能性。

40年前の画像を維持しての再現は、やはり厳しいものがあり。

 

1983/05/04 飯田線 伊那大島、237M/228M、クモハユニ64000

 1981年の画像と比べて、正面運転室窓のHゴム化がどうしても目立ってしまう。

光線のためか、画像自体が良くない。この時は3日間よく晴れたための影響の可能性。

1983/05/04 飯田線 天竜峡、261M待機、クモハユニ64000

 助手席側1位3位側は電気側で、床下に抵抗器があり。偶数車の方向転換と思われる。

 

1982/05/20 飯田線 伊那新町、225M 辰野行、クモハユニ64000

 伊那新町での列車交換。タブレット交換のためか、この駅は下り辰野行は右側通行。

 

1983/05/04 飯田線 天竜峡、261M待機、クモハユニ64000

 今度は後部第二エンド、増設運転室側から。運転室ドアの窓が小さい(低い)感じ。

1983/05/04 飯田線 伊那大島、237M/228M、クモハユニ64000

 同じく増設運転室ドアの窓高さに違和感。またその次の窓は戸袋窓になっていた。

 

1983/03/05 飯田線 伊那松島機関区、クモハユニ64000

 後部第二エンド、増設運転室側。点検中なのか1両で庫内にあり、撮影が許された。

正面の中央ドアは木製のまま?おぼろげな記憶では、ドア塗装も車内の緑系???

微妙にクリームとは異なっているような・・・(間違っていたら申し訳ございません)

正面ドアの色がよくわかりませんので、他資料や他の方の撮影期待です。(訂正です)

CL画像で撮っておけばよかったと後悔。

 今回画像整理中で、この車両が飯田線の車両とは直に思えず、他の画像混入と誤解。

試運転等は別にして、この正面が飯田線で営業運転に出たことは無いと思われる。

 運転席窓下の銘版がはがされていることに気が付いた。何が起きたのでしょう?

ちなみに銘版の下の塗装は横須賀線の青15号塗装ではないようで、茶色でもなさそう。

下塗りでしょうか?

 

 

1983/05/04 飯田線 伊那大島、237M/228M、クモハユニ64000

 休日は天竜峡/伊那大島間の237M/228Mは運休であるが、5/4は土曜で運転あり。

土曜も朝は通勤通学が平日並みであった時代、それなりに乗客も見られた。

 

 

  参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、

     国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版

     時刻表 1983/03、他