救援車は、事故発生時などで復旧に必要な資材を車内に積込んだ、事業用の車両。
側面の大きなドア以外にも、左側の増設運転室の正面大ドアからも資材搬出が可能。
画像の左側、増設運転室下に②があり、こちら側が主運転室で第1エンドとなる。
すなわち、上り向きの奇数車の扱いになる。なお2位4位側の床下は空気側に見える。
正面増設運転室側下の白△マークがよく目立つ。行先表示板にはどんな表示の実績?
臨時?救援?工場入場などでは回送?営業列車に併結なら純粋な行先表示も使用あり?
勝手な妄想ばかり。変色のカラーネガからであるが、正面白△は特に印象的であった。
ちなみに、1975年と1976年(上記の撮影)で伊那松島機関区で、許可の下で撮影。
後ろにED18 1がみえる。同行の年上の方は、旧型電機の方が先に廃止、と言っていた。
こっちも撮っておいた方がいいよ、とも助言。
「行けるうちには行っておこう」
「取れるときには撮っておこう」
目の前に「撮ってください」としか言いようがない位置で車両が停止していたら、
それがお目当ての車両ではなくても、とりあえずシャッターは押した方が良い、とか。
少し上の先輩でも年配の方でも、本格的に撮影していた方はよく似たようなことを
自分に言っていた。そうかなと思いながら、当時ED18やED19も来たら撮っていた。
しかし飯田線の165系や119系などは、もちろんPASSはしなかったが、・・・です。
結果、クモユニ147連結の119系は、意外と期間が短かったなど、いろいろありました。
この頃は増設運転室正面の白△マークがなく、しかしかえって大きなドアが目立つ。
なお、②が増設運転室下に見えるため、こちら側が主運転室第1エンドのままである。
増設運転室側の運転室下に②が見られない。パンタグラフのある側の運転室下に〇。
ということは、増設側は主運転室ではなくなる。物理的ではない方向転換の可能性?
ちなみに、背後にはED18やED19ではなく、ED62が見える。
側面反対側、こちら側が電気側になりそう。同じく右側増設運転室側下に①がない。
元からの運転室下に②が見られる。1983年ではこちら側が主運転室で第1エンド。
下り向き偶数車扱いになる。1981年9月の浜松工場入場時に、変更が行われた可能性?
しかし、両側運転室の車両で、あえて変更(元に戻す)必要があるのであろうか?
クモエ21009←11235←31061(1940年製)
以下は部外者の自分の勝手な推定であり、間違いであれば申し訳ございません。
(その場合は後ほど削除か訂正させていただく予定であります。)
クモハ11235(上り向き奇数車と推定)が救援車クモエ21009に改造時、方向転換。
まずこれが最初の前提になるが、物理的に方向を逆転せしたという考え方になる。
運転室がない第2エンド側を大改造で、資材搬出に便利な大ドアを正面にも設置。
増設運転室大ドアは、山間部の狭いエリアでの資材搬出で横ドア使用不能時を想定。
この場合、伊那松島機関区配置なら、増設運転室は必然的に上り側が使用しやすい。
この時、増設運転室の方を救援車として使用するために、主運転室扱いにした可能性?
ただし末期は活動の機会がなく増設運転室の機能を縮小、主運転室を戻した可能性?
もしかしたら末期は増設運転室は簡易運転室的な扱いになった可能性等、でしょうか?
まったくの錯覚の可能性もあります。
詳細ご存じの方が居りましたら、ご教示をお願いいただければありがたいです。
参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、
国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(下)、飯田線の旧型国電 増補版
次はクモニ83/クモニ13予定ですが、まとめと確認にかなり難航しております。
そのためしばらく休みで、次回は5月上を予定しております。
どうかよろしくお願いいたします。