一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

山陰線 快速島根ライナー 1-7(乃木)

1986/07/30 山陰線 乃木/玉造温泉、3225D 鳥取長門市

 島根ライナー最後は乃木から。映っているのは山陰の日本海ではなく宍道湖になる。

夕方にはなったがこの日も結構よく晴れていて、陽が当たる画像の撮影ができていた。

 線路の手前に道路があり、残念ながら自動車が写ってしまうことは避けられない。

シャッターを押すタイミングは、自動車の位置も考えて、エイヤ一発になる。しかし

最初のカラー画像はちょっとうまくいったとは言い難いレベル、困ったもの。

 

1986/07/30 山陰線 乃木/玉造温泉、3731D 新大阪発益田行
新大阪/米子は701Dだいせん1号、浜田/益田間は731D

 次の白黒の3731Dの方がタイミングとしては良かったかと思われる。

 

 1986/07/30当日の行動は以下

  五十猛駅

    早朝から五十猛/仁万で撮影、

  五十猛1040→(438レ)→1205出雲市

    出雲市で、廃車待ち留置旧型客車撮影

  出雲市1343→(284M)→1433揖屋

    揖屋で、廃車待ち留置旧型客車撮影

    284M横須賀色115系撮影、回461Dキハ52 128旧塗装撮影

  揖屋1522→(285M)→1537乃木

    乃木で461Dキハ52 128旧塗装撮影

    乃木/玉造温泉で撮影

  乃木1732→(456D)→1737松江1846→(3259D)→1921出雲市

  出雲市2030→(736/3736/706だいせん6号)→341福知山・・・

 

 駅ネの翌日は中途半端な夜行自由席、山陰ワイド周遊券をフルに使った過酷な格安

プランの実施になっていた。

 

1985/08/27 山陰線 玉造温泉、3225D鳥取長門市行、キハ26 2411
左は廃車留置中の旧型客車(オハ46 599)、失敗画像を強引に復元

 3枚目の画像はその前年、玉造温泉で廃車待ち留置の旧型客車の撮影実施時になる。

まだ旧型客車自体の営業走行は残っていたが、既に置換済となっていた旧型客車が、

大量に各地に廃車待ち留置となっていた。これらについては、まず米子より西側から

順に掲載を予定。1983/07/23に見た、飯田線中部天竜での旧型国電廃車待ち留置と

印象がとてもよく似ていた記憶。

 

 

   参考:JTB時刻表1986/08、1985/03

 

 

山陰線 快速島根ライナー 1-6(江南)

1986/07/29 山陰線 神西/江南、3222D 須佐発鳥取

 

1986/07/29 山陰線 神西/江南、3222D 須佐発鳥取

 今回は、江南から。ここは計画的というよりは、車窓から適当に降りてみた感じ。

列車の編成が入るような、普通に平凡な撮影ができそうな場所。駅からも遠くはない。

ここで朝、2時間半ほど構える。ちょうど陽がうまく当たっている状態で好ましい。

 

  1986/07/28日~07/29月

   大阪2135→(705レだいせん5号/3735レ)→653出雲市

   出雲市655→(435レ)→711江南

    943江南発まで、神西/江南間で撮影

 

 やって来た3222Dは3両編成。先頭に設置の島根ライナーの快速マークがよくわかる。

真ん中の2両目には、非冷房のキハ47が連結されていた。しかしできれば夏場は冷房の

キハ58やキハ28 2000で統一したい。車両のやりくりに苦労しているのであろうか。

夏の多客繁盛期間ではやむを得ない?この日も良く晴れて暑い一日となっていたため、

冷房電源がない編成になると宝の持ち腐れ、もったいないとしか言いようがなかった。

 

 

   参考:JTB時刻表1986/08

 

 

山陰線 快速島根ライナー 1-5(田儀)

1985/08/27 山陰線 小田/田儀、3254D 長門市鳥取

 今回は、山陰線西部の田儀から。同じく夏の晴れた日は、山陰の海がとても美しい。

最初の画像の3254Dは11時過ぎ、陽が回り込んで、正面に当たらなくなってきている。

この日の朝は、前日宿泊の浜田発623の3222Dか641発の434レに乗る予定であったが、

朝起きられず寝坊状態で、浜田発830の3734Dに乗車となる。(田儀通過で大田市乗換)

撮影予定のはずの3734Dなら、もう少し陽が正面に当たっていたか、と思うと残念。

そのためやむを得ず、画像の補正を行なって多少とも改善を実施となった。その結果、

快速マークも一応見える状態にはなった。

 日程詰めすぎで疲労困憊になると、朝寝坊が時に発生で、予定が狂い参ってしまう。

しかし風呂と布団があれば、安宿でも駅ネや夜行自由席と比較で、その快適さは段違い

間違いない。

 

1985/08/27 山陰線 小田/田儀、3223D 鳥取発益田行

1985/08/27 山陰線 小田/田儀、3255D 出雲市発益田/(浜田)行

 次とその次の画像も快速になるが、どちらも快速マークは装着なし。列車によって

円形の快速マークの有無が発生していた。

 

 なお快速停車駅では一部不思議な状態あり。小田と田儀では、両方停車、両方通過、

小田のみ停車、田儀のみ停車、のパターンがあり、正直よくわからない。浜田から乗車

の3734Dは田儀/小田両方通過で、大田市で普通に乗り換え、田儀で下車との記憶あり。

 帰りは3256Dが田儀通過、小田停車の為、小田まで歩いていた。どうも単線区間

列車交換で停車が発生の場合、ドアを開けて客扱い実施?時刻表からはそう読めそう。

急行なら運転停車のはずが、快速のため、乗車下車をOKにして通常の停車にした?

この辺りご存じの方が居られましたら、コメントいただきたいですね。

 

 以下再掲載の快速島根ライナー時刻になります。

 

快速島根ライナー時刻(ITB時刻表1986/08から抜粋)、再掲載

 

   参考:JTB時刻表1985/03、1986/08

 

 

 

山陰線 快速島根ライナー 1-4(五十猛)

1986/07/30 山陰線 五十猛/仁万、3734D 益田発新大阪行
米子まで快速で、米子から急行だいせん4号新大阪行

 今回は、山陰線西部の五十猛から。やや狭い3両編成の列車が収まる海沿いの場所。

カラー撮影の最初の画像の3734Dは、快速マークもよく見られる。陽のあたりも良い。

朝9時過ぎであるが、晴れた夏の山陰の海辺はとにかく美しい。

 

1986/07/30 山陰線 五十猛/仁万、3222D 須佐発鳥取

 次の画像は3222D、朝7時ころの白黒画像になる。中間には非冷房のキハ47が連結。

両側の車両はキハ58? これでは冷房電源からの電力供給がなく、冷房は機能しない。

電源があるキハ28 2000~連結の予定が、何かトラブル発生で代車でキハ47が使用?

朝7時ではともかく、これから鳥取着1051まで暑くなるため窓開けとなりそう。

 

 ちなみに、前日夜は五十猛駅ネになる。記憶では確か無人の駅舎が存在していたが、

今では取り壊しらしい。旧駅舎が取り壊される例は、決して少なくないようである。

なお実際に横になったのは、旧駅舎ではなく、ホーム上の小さい待合室の可能性が大。

前回の折居駅での駅ネと同じように、その小さい待合室で蚊取り線香を焚いて煙を充満

させて使用。人生で一番蚊取り線香を使用したのは、山陰線の無人駅の駅ネであった。

 

 

   参考:JTB時刻表1986年

 

 

山陰線 快速島根ライナー 1-3(折居)

1985/08/26 山陰線 周布/折居、3734D 益田発新大阪行
米子まで快速で、米子から急行だいせん4号新大阪行

 今回は、山陰線西部の折居から。ここも夏の晴れた日は山陰の海がとても美しい。

最初の画像は折居の東側周布側になる。朝の陽を浴びた列車が美しい。この3734Dは

益田発新大阪行きの長距離列車。米子より西は快速運転で、よく見ると正面右には、

島根ライナーの円形の快速マークがあり。ただ所少々狭いため編成が切れてしまった。

 

1985/08/26 山陰線 周布/折居、3254D 長門市鳥取

 2個目の画像は、3254D快速鳥取行き。逆光撮影のため、明度をあげて修正を実施。

こちらも快速マークが見られる。なお、右奥に折居駅跨線橋が見られる。

 

1985/08/26 山陰線 折居/三保三隅、3223D 鳥取発益田行

1985/08/26 山陰線 周布/折居、255D 浜田発益田行
出雲市発浜田行3255Dがそのまま255Dとなって運行

 3個目の画像は、折居の西側三保三隅側、3223D、こちらも晴れた夏の海が美しい。

最後の4個目の255D(3225D)も含めた2列車では、快速マークは見られなかった。

 

 この日は早朝から午後まで折居近傍で、1日中各種の列車撮影となっていた。

その折居までの日程は以下、18切符の普通乗継で大幅な経費節減を行なっていた。

 

  1985/08/24土~8/25日、戸塚までの乗車券と18切符1日

    東京2328→(345M)→656大垣708→(749M)→755彦根

    彦根803→(3625M)→1105姫路1138→(459M)→1307岡山

    岡山1418→(929M)→1753米子1810→(3259/259D)→2150折居

      折居泊(駅ネ)、上の乗継では、乗継回数は最小限と思われる。

  1985/08/26、折居→浜田の乗車券

      折居近傍で撮影、折居1627→(444レ)→1650浜田、宿泊

 

 折居での駅ネでは、実際に横になったのは、駅舎ではなくホーム上の小さい待合。

まずドアを締め切って蚊取り線香使用で煙を充満させる。それを繰り返した後に入り、

ドアを閉めて横になる。広い駅舎の待合室では香取線香の威力が半減してしまうから。

これは冬の北海道の装備相談でお世話になったヘビーな撮影同行者からのアドバイス

従って、ドアがない解放式待合室は不適、これは無人駅の選定の重要ポイントになる。

 ホーム上の待合室の難点は、深夜の貨物列車の騒音がどうしても避けられない点。

折居駅のホーム上の待合室での駅ネでは、夜の貨物列車の通過で目が覚めてしまった。

当時は山陰線西部の貨物列車は大きく減少でも、皆無ではなかったようである。

 

 

   参考:JTB時刻表1985/03

 

 

山陰線 快速島根ライナー 1-2(石見津田)

1986/07/29 山陰線 石見津田/益田、3223D 鳥取発益田行

 今回は、石見津田から。益田方面にしばらく歩いた地点からになる。3223Dは2両。

今回の撮影画像では、右の上り側は非冷房キハ47連結に見える。左の車両については、

屋根上の水タンクがあると思えるためキハ58と推定。屋根に冷房用のクーラーが設置

されていることはわかるが、窓は結構開いている状態で、冷房装置は稼働していない。

 キハ58/キハ28の編成は、1エンジンのキハ28で冷房用の電源を積んでいる2000~

の連結があれば、自車も含めてたしか3両分の冷房用の電源の供給ができるらしい。

しかし3223Dでは、1両目はキハ58で冷房電源がないため冷房は稼働していない。

 日によって編成が異なっているようで、自分の撮影の範囲では、3223Dは非冷房の

キハ47の連結で冷房が稼働しない編成も見られた。キハ28やキハ58の屋根にせっかくの

冷房装置があっても、電源があるキハ28 2000~の連結がない場合は宝の持ち腐れで、

冷房は残念ながら稼働しない。とてももったいない状態。

 これは気動車に限らず電車でも同様。冷房改造が進行中であった当時の状況では、

編成の車両連結状態によって、冷房装置自体はあるが冷房が稼働せず、ということも

結構発生していた。真夏に冷房が効いている車両を選んで何とか乗るため、可能な限り

過去の知識を総合して・・・、と言うと大げさにはなるが、入線編成を見て前や後ろに

駆け足で駅のホームで移動して・・・は、東京の国電区間では、頻繁に実施していた。

 

1986/07/29 山陰線 石見津田/益田、255D 益田行

1986/07/29 山陰線 石見津田/益田、255D 益田行
出雲市発浜田行3255が、そのまま255D普通として益田まで運行

 次とその次の画像は、快速3255Dが浜田から普通255Dとして変わった列車になる。

天井の水タンク設置で、手前がキハ58、2両目はキハ28と思われる。窓の状態からでは

冷房は稼働で、よって2両目のキハ28は冷房電源付きのキハ28 2000~と推定する。

 なお1両目で窓が2個所開いているが、もしかしたら冷房の効きが悪いか、あるいは

旅行者が海風に当たりたいと思って窓を開けたかの、どちらかと勝手に推定となった。

 

晴れた夏の山陰線の海側の車窓はすばらしく、海を入れての撮影を実施でいろいろな

場所等選定していた当時の経緯を思いだしてきます。

 

 

   参考:JTB時刻表1986/08

 

 

山陰線 快速島根ライナー 1-1(宇田郷)

1986/07/30 山陰線 須佐/宇田郷、3254D 長門市発快速米子行

 今回から山陰線西部(米子より西側)を予定。まずはキハ58系の島根ライナーから。

1985年の時刻表から設定の山陰線快速列車になる。ただし時刻表上の名称は記載なし。

下り5本、上りは4本の設定。

 

 最初の画像は、宇田郷を通過した快速3254D、見える道路の橋の向こうが宇田郷駅

良く晴れた日の朝8時45分頃、朝の上りと夜の下りで1日1往復の走行となっていた。

 

次の画像はその直後、1両目だけアップ。海が美しい。

1986/07/30 山陰線 須佐/宇田郷、3254D 長門市発快速米子行

 よく見ると快速マーク有り。別途撮影できた快速マークには、島根ライナーの文字。

各地の自分の撮影画像からまとめて、どうも3往復のみに快速マークが見られていた。

以下まとめた結果になるが、夕方から夜の下りと、午前中の上りに集中して装着あり。

 

1985/08/25 山陰線 米子、3259D、米子発快速須佐行、キハ58 644

 

 運転区間もまちまち、快速区間も停車駅もバラバラ。時刻表を見ての個人的な勝手な

意見ではあるが、列車交換の運転停車なら、客扱いをしよう?的な意識すら感じる。

なお途中から普通扱の場合もあるが、快速区間でも各駅に停車の場合も頻発であった。

一部は鳥取直通もあり、鳥取側の快速(わかとりライナー)も兼ねた可能性もあり?

時刻表には無記名の快速のため、3225Dと3222Dは、快速マークはどうしたのか?

この2列車は島根ライナー区間の撮影ではマーク設置、よって米子で交換した可能性?

あるいは直通快速としてそのまま?ご存じの方、ご教授いただければありがたいです。

 また新大阪と益田間直通も凄い長距離列車に思える。これは米子から急行のため、

さすがに米子でマーク設置/取り外しがあったと思われる。

快速島根ライナー時刻抜粋(時刻表1986/08から)

   ※時刻表には、島根ライナーの記載はなし

   ※緑は乗車区間、黄色は撮影列車

   *は時刻表上では普通列車列車番号は下3桁のみ)

 

 

 しばらくは、山陰線西部の列車走行撮影から。1985年と1986年の夏に1回ずつ訪問。

やはり暑かったが良く晴れたため、海も入れた夏の山陰線らしい走行撮影ができた。

当面は、一般の方でも一応見ていただけそうな画像をなるべく掲載したい意向である。

似たような山陰線西部の列車走行撮影画像が続く予定、多少飽きる可能性もありそう?

 

 なお、山陰線の本当の撮影目的は、山陰線東部で最後まで稼働の旧型客車であった。

1986年秋に和田岬線兵庫/和田岬間を除き、旧型客車の一般営業走行は終了になった。

その最後まで残っていた区間が山陰線東部(福知山線含む、篠山口~米子と思われる)

と、函館線の函館~札幌(苗穂)になる。1986年の最後の年は、3月(函館線)と、

7月から8月(山陰線)にそれぞれ行くことが出来た。それは、飯田線旧型国電の最終年

であった1983年と、とてもよく似た思いを感じてしまった。

 

 山陰線東部と函館線はまだまとめ編集に時間がかかるが、別途改めて掲載を予定。

それ以外で、廃車待ち留置等の旧型客車や気動車など、中国地方の主に非電化区間

車両関係は、今回の列車走行撮影の後に順に予定。

 

 以上の予定になります。どうかよろしくお願いいたします。

 

 

   参考:JTB時刻表1985/03、1986/08