前回に続き、天北線声問から。ここは南稚内とは逆に同行者の後についていった。
海が見える場所で、風と吹雪が頻繁に襲ってくる。人生で最も寒いと感じたひと時。
列車を待つ時間がとにかく長い。やがて正午過ぎに、定刻で急行天北がやって来た。
DE10に5両の客車が見える。とてもありがたいことに、吹雪はこの時収まっていた。
最初に海沿いの走行の撮影。(前回) そして、近くで雪を巻き上げてやって来た。
夢中でシャッターを押す。そしてすぐに振り返って後追い。凄い雪煙、見通しが悪い。
そして列車が見えなくなるまで、そのままの姿で見つめていた。
今回の画像も、スキャナー取り込み直後は、コダクロームKRで青味があったため、
1枚目はホワイトバランスを調整実施での画像。(14-4、yasuo_ssi様アドバイス参照)
バックに建物、少し荒涼とした雰囲気ではないが撮れた。(前回の方が良かった?)
曇っていたとも思っていたが、一瞬陽が差したような雰囲気になった感じに見える。
後追いの2枚目は同様補正がどうも不調、そのためGIMPでR+13、B-13の補正を実施。
雪中走行の雰囲気が伝わりますでしょうか?
1986/03/11の行程
急行利尻下り→555南稚内、
撮影(急行宗谷3-6と3-7):302レ上り急行宗谷、他
南稚内930→724D→940声問
撮影(急行天北4-6と4-7):304レ上り急行天北、他
声問1312→726D→敏音知
交換撮影(急行天北4-5):303レ下り急行天北
車内撮影(急行礼文2-5):美深で306Dの車内撮影(カーペット車)
参考:JTB時刻表 1986/03
(おまけ)
以下は、当時の雪と防寒対策になります。
あくまで自分個人の経験と意見になりますので、一般注意ではありません。ご参考。
当時、自分はとても瘦せ型で寒さがとにかく嫌い。冬はジーンズの下にジャージ。
よって冬春は西側、九州四国中国地方へ行くことばかり。(ただしやはり寒いです)
しかし同期の友人の撮影を見て、冬季の北海道も行ってみようと思うようになった。
冬で雪が積もった丘に登り、俯瞰撮影を平然と行なうその友人が2名いて相談。
二人とも優しい顔しているが、見かけによらず、行動は自分よりとにかくツワモノ。
素直に助言を求めたら、ありがたいことに懇切丁寧で、現物まで持ってきてくれた。
「お前もついに仲間入りか」、いやまだ初心者です。
その後に、神田の石井スポーツへ。基本、冬山登山に少し近い装備、を理解。
北海道の二重ドア/二重窓同様で二重覆いが基本。それに寒さ嫌い用に追加。
・通常の靴下+ひざ下までの靴下+スノトレ+スパッツ(カンジキは準備せず)
・通常の手袋+オーバー手袋
・ジャージ+ジーンズ+オーバーパンツ
同期の同行者は登山靴と思ったが、自分は、登山靴は見送りでスノトレを選定。
一応可であった。スパッツ/オーバー手袋/オーバーパンツは、雪中に入るなら必須。
雪に埋まった道を、雪中行軍で雪をかき分けて丘に登るときには、とにかく大活躍。
ウエア選定にも苦慮。午前中で人が少ない時に時間をかけて色々みていたら、
しばらくして、作業が終わったいかにもベテラン風と見える店員が、声をかけてきた。
「冬山登山用のウエアをお探しですか?」 冬山登山ではない、ですが・・・
目的と想定状況と、自分は寒いのが苦手なので、と話した後に、言った言葉。
「冬の北海道、吹雪の丘で2時間立っていて、寒くないウエアを紹介ください」
そうですか、少々お待ちください。と言って倉庫へ行って持ってきたウエアを説明。
ダウンが二重になっているタイプで、一般用では一番の防寒ウエアになるそうだ。
東京の冬なら、外でもTシャツ1枚の上に着れば問題ないです。とも言われた。
少し着てみたが、店内ではもはや暑い。確かに防寒としては凄いレベルと思えた。
「この上になるとヒマラヤ登山等のオーダーメイド特注品で、とても高額ですね。
どうでしょう?」 と言われて、その場で紹介されたウエアを即決購入してしまった。
フードもあったため、毛糸の帽子と合わせて頭の上は一応防寒OKと思えた。
実際に冬の北海道の撮影では、雪と寒さがすごいが、上記装備であれば寒がりで
の自分でも十分に何とかなっていた。雪をかき分けて本当に進む場合は、スパッツ/
オーバー手袋/オーバーパンツが重宝は既述の通り。しかしそれでも顔面だけは露出、
寒いスキー場でみたフェースマスク等とゴーグルがあれば、良かったかと思われる。
なお、軽装備(東京の冬装備の延長)の年下の別のもう一人の同行者は、凍傷気味。
勧められる状況ではない。列車と同様で、本州の延長での冬季対策では基本厳しい。
故障運休頻発の485系1500番台と同じで、残念ながら対策不十分となる結果であった。
駅撮り程度ならともかく、本格的に雪中での撮影を考えているのであれば、十分な
対応を考慮することをお勧めです。
ちなみに、雪の北海道では外は当然激寒になるが、内はとにかく暖かいと感じた。
二重ドア二重窓の威力も含め、防寒対策は万全。車内/室内は実際にとても暖かい。
冬季の九州四国中国地方とは、対策の思想の違いまであり、とにかく差が大きい。
当時の雪の北九州では、駅はドアがない解放式待合室、列車も停車中はドアを全部
開けっぱなし(キハ20等を除いて、大半が半自動無し)で、とにかく寒い印象ばかり。
隙間風も結構あり(キハ35,夜行のながさきの10系座席車)、暖房の効きが良くない
ことも含めて、あたたかいところがなく本当に寒かった印象ばかりが思い出される。
なお当然夏は逆、7月下旬でも根室標津駅や根室の宿ではストーブが稼働で暖かい。
当時は複数あった北海道の夜行列車は、年間暖房可能な指定列車であったらしい。
また、当時北海道に冷房のない地下街があって、暑い日はちょっと・・・、であった。
同じ日本でも、対応がこうも違うものかと思わずにはいられなかった。
従って、北海道含めた北国出身者の方は、皆特別に寒さに強いわけではないらしい。
寒さ対策をきちんとやる習慣が北国では普通、という意味ということを言っていた。
寒さに弱い北海道や北国出身者が複数いて、東京の冬の部屋は寒いと口を揃えていた。
いや、いろいろあるものです。
上の画像は急行天北通過後で、撤収前の姿になります。中央(自分)と左(同期)は
重装備で臨んでおり、スパッツ/オーバーパンツ、冬山登山用のウエアなどでした。
なお、この時は雪かき不要の状態のため、オーバー手袋のみ使っていなかったです。
右側の後輩は東京レベルの冬装備で、それは道北では軽装備レベルになり、ちょっと
お薦めとは言い難いです。