元の画像がヘッダーの3番目になり、かなりBが強いため、彩度/色相修正を実施。
他にも少し試みてはみたが、RをあげてBを落としたものがよさそう?で選定となった。
色合いから、天候不順であり寒々しい雰囲気が出たように感じるが、どうでしょう?
どれが適正なのか、正直迷うばかりです。
雪中行軍の急行宗谷を見送る。曇りで風と吹雪を繰り返しのとにかく寒々しい天候。
やがて最後部のスハフ14が見えなくなると、皆撤収準備開始。南稚内まで引き返す。
急行宗谷の時刻変遷と、編成を以下にまとめた(JTB時刻表から、※は追記)
北海道の長距離優等列車は、函館で青函連絡船に接続で、本州との往来を基本想定。
急行宗谷も、当初はその趣旨に基づいていたと思われる。しかし元の函館での接続から
札幌中心の思想に変化があったようで、自分が初めて北海道に行った時はすでに短縮。
函館/札幌間は別列車で北海3号/2号となっていた。(それは別の魅力もあったが)
その後、所要時間が少し延びるが、車内設備優先で、何と14系客車に変更となった。
昼行の急行列車(客車)は、ニセコが良く知られたが、宗谷と天北でも出現である。
停車駅は美唄/砂川通過で時間短縮。不思議なのは、なぜか上りのみ佐久に停車あり。
これは少なくとも1987年6月まで継続実施。宗谷のみで見られた。下りは通過になる。
14系客車の稚内行急行は、普通の道北の旅行者の方でも少しは記憶にある可能性?
もちろん列車の撮影者には、強烈な印象をもたらしていた。急行宗谷もそうであるが、
次回の急行天北は、天北線関係では大抵その画像が見られるほどの象徴的存在の印象。
自分の場合、1986年まで残っていた函館線の旧型客車が北海道で一番の目的であった。
しかし、やはり14系宗谷や天北は撮りたかった対象になっていた。
以下に編成をJTB時刻表から抜粋で簡単に記載。 ※は自分の記載になる。
キロ26を含む6両(キロ26は下り側2両目)+函館/旭川間2両上り側増結
キロ26を含む6両(キロ26は上り側2両目)
キロ26を含む6両(キロ26は上り側2両目)
302Dは滝川→札幌間に上り側2両富良野発を増結
・JTB時刻表1985/03、1986/03:305/302レ、札幌/稚内
6両 ※14系客車、302レは、上り側2両はB寝台車の座席利用
利尻下り→宗谷上り、となる
※なお、302レの上り側2両目のB寝台車の一部はG車として使用あり
※305レは座席車のみで、翌日天北上り、となる
305レは5両 ※14系客車
302レは6両 ※14系客車、上り側2両はB寝台車の座席利用
参考:JTB時刻表
1981/07、1982/09、1984/07、1985/03、1986/03、1987/06