今回から、函館/網走間のおおとりを予定。走行区間が長いため石北線以外も掲載。
1986/03まではキハ82であったが、1987/08の撮影ではキハ183に置き換わっていた。
まず1982/07と1984/08のキハ82から予定、ヘッドマークは文字タイプのみになる。
その後に、1985/03と1986/03のキハ82から、これはおおとりの絵入りマークがあり。
1987/08のキハ183のおおとりが最後で、その後は北斗とオホーツクに分割された。
函館駅昼少し前、おおとりと北海3号が並ぶ。183系の運転はまだ多くは無かった頃。
北海道への最初の函館駅の姿は旅情豊か、と言いたいが、それは指定券がある客限定。
青函連絡船からの長い通路を走る自由席の客は大変。しかも、特急の自由席は一番前。
連絡船からの通路から最も遠い位置に停車。この撮影は、連絡船の乗客到着前に実施。
このあと2両しかない自由席はすぐに満席。通路まで人が立つ状況で、落ち着かない。
自分も、混雑前に右側の北海3号の自由席に乗りこむ。北海道周遊券のため自由席は、
当時追加料金なしで乗車が可能、指定席への乗車は特急料金も追加で高額であった。
なお北海3号の大元は稚内行の急行宗谷である。少し前の時刻表1980/07によると、
函館発1140:5D 特急おおぞら5号、釧路行
函館発1145:15D 特急おおとり、網走行
函館発1150:305D 急行宗谷、稚内行
北海道の端に近い駅行が、この時間の函館駅の発車列車の掲示に、3つも表示される
時間帯であった。当時の北海道の国鉄の列車体系が、連絡船経由の函館駅を中心から、
次第に札幌駅中心に移行する直前の時期にあたる。このあとで、上記のおおぞら5号は
札幌発となり、宗谷は函館/札幌間は北海に分離で同じく札幌発になってしまった。
これが1982/07/17の撮影時期になる。
この、おおぞらの1往復とおおとりは、その後もしばらくは函館発着で残っていた。
そのおおとりの撮影画像を順に掲載予定。まずはヘッドマークが文字だけの時代から。
キハ183は当初から絵入りマークであったが、キハ82では、当時は文字のみであった。
連絡船の接続を受けて特急が2本連続で出発する様子は、往年の国鉄の雰囲気を十分に
感じることが出来た。
なお、おおとりの時刻をJTB時刻表から以下に抜粋。
札幌と遠軽で運転方向が逆転するため、少々停車時間があり。またキハ82では、
北見で2両分割併合の為、同じく停車時間あり。伊達紋別停車が加わった後でも、
大きな時刻に変化が見られない。
なおキハ183に置換後は、スピードアップが顕著にみられた。
以下、JTB時刻表から編成を抜粋
食堂車とグリーン車の位置が変更になっている時期があることに注意。
時刻表1982/09
おおとり5D、6D 札幌/遠軽間逆編成
⑧⑨は函館/北見間連結(※北見で遠軽側に連結)
←網走 ①②③指④指⑤D⑥G⑦指/⑧指⑨指→函館
時刻表1984/07
おおとり35D、32D 札幌/遠軽間逆編成
⑧⑨は函館/北見間連結(※北見で遠軽側に連結)
←網走 ①②③④指⑤D⑥G⑦指/⑧指⑨指→函館
時刻表1985/03
おおとり3027D、3028D 札幌/遠軽間逆編成
⑧⑨は函館/北見間連結(※北見で遠軽側に連結)
←網走 ①②③④指⑤G⑥D⑦指/⑧指⑨指→函館
※前年から、⑤と⑥の位置が変更
時刻表1986/03
おおとり3027D、3028D 札幌/遠軽間逆編成
⑧⑨は函館/北見間連結(※北見で遠軽側に連結)
←網走 ①②③④指⑤G⑥D⑦指/⑧指⑨指→函館
時刻表1986/03
おおとり3027D、3028D 札幌/遠軽間逆編
←網走 ①②③④指⑤G⑥指⑦指→函館
※183系に変更
参考:JTB時刻表
1980/07、1982/09,1984/07、1985/03、1986/03、1987/06