一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線165系急行伊那 82-1

1982/03/16 飯田線 湯谷/三河槇原、603M、急行伊那3号、飯田行

 飯田線旧型国電撮影の合間に来た165系のうち、まず急行伊那とその関連から。

大垣電車区所属で、飯田線では豊橋側から入線で、上り豊橋側がクモハ165になる。

あるいは、モハ164/モハ165ユニットの場合は、モハ165が上り豊橋側に連結される。

そのためモハ164のパンタグラフは車両の上り側。天竜やこまがねとは逆になる。

 豊橋側←クハ165/モハ165/モハ164/クハ165→辰野側、の編成が一番多く見られた。

他に、クモハ165/モハ164/サハ165/クハ165(上記の画像)の編成もたまに見かける。

それ以外では、クハ165/クモハ165/モハ164/クハ165が、1982~1983年頃にあり。

これは、こまがねとは異なり、クモハ165の前に奇数向きクハ165の連結になっていた。

 

1978/08/10、飯田線 湯谷/三河槇原、601M、急行伊那1号行、上諏訪

 上記は伊那では一番多く見られたモハ164/モハ165の使用の編成。モハ165自体が

もともと少なかったため、一番普通に思える編成が意外と他線区では見かけない状態。

この伊那1号は、東海道線大垣発で飯田線経由の中央線上諏訪行、乗車時間は7時間程。

ちなみに上りの伊那8号は、なんと美濃赤坂行。(JTB時刻表1980/07から)

 

飯田線急行伊那時刻表(JTB1980/07から抜粋)、*回送は国鉄電車編成表79P97から推定

 上記は当時の時刻を再現であるが、飯田線内の運用は全部4両編成のみ。

ただし1978年の旧型国電半数置換時前の運用では、国鉄電車編成表78のP117から、

601M/608Mの豊橋/飯田間は7両運転で、附属3両を飯田で切離し(上りは増結)となる。

当時の飯田線では、飯田まで長距離用急行に7両編成が要となる需要に対応してきた。

 

 中央道は1975年頃に恵那山トンネル開通、そのあとに附属編成廃止に至っていた。

長距離輸送は中央道高速バスに押されて、年を経る毎に厳しくなっていった様である。

 

 

  参考:国鉄電車編成表79、78

     時刻表 1980/07