飯田線旧型国電撮影の合間に来た165系のうち、まず急行伊那とその関連から。
大垣電車区所属で、飯田線では豊橋側から入線で、上り豊橋側がクモハ165になる。
あるいは、モハ164/モハ165ユニットの場合は、モハ165が上り豊橋側に連結される。
そのためモハ164のパンタグラフは車両の上り側。天竜やこまがねとは逆になる。
豊橋側←クハ165/モハ165/モハ164/クハ165→辰野側、の編成が一番多く見られた。
他に、クモハ165/モハ164/サハ165/クハ165(上記の画像)の編成もたまに見かける。
それ以外では、クハ165/クモハ165/モハ164/クハ165が、1982~1983年頃にあり。
これは、こまがねとは異なり、クモハ165の前に奇数向きクハ165の連結になっていた。
上記は伊那では一番多く見られたモハ164/モハ165の使用の編成。モハ165自体が
もともと少なかったため、一番普通に思える編成が意外と他線区では見かけない状態。
この伊那1号は、東海道線大垣発で飯田線経由の中央線上諏訪行、乗車時間は7時間程。
ちなみに上りの伊那8号は、なんと美濃赤坂行。(JTB時刻表1980/07から)
上記は当時の時刻を再現であるが、飯田線内の運用は全部4両編成のみ。
ただし1978年の旧型国電半数置換時前の運用では、国鉄電車編成表78のP117から、
601M/608Mの豊橋/飯田間は7両運転で、附属3両を飯田で切離し(上りは増結)となる。
当時の飯田線では、飯田まで長距離用急行に7両編成が要となる需要に対応してきた。
中央道は1975年頃に恵那山トンネル開通、そのあとに附属編成廃止に至っていた。
長距離輸送は中央道高速バスに押されて、年を経る毎に厳しくなっていった様である。
参考:国鉄電車編成表79、78
時刻表 1980/07