クモユニ147の飯田線の運転は2年弱程のようで、その後は東海道線で使用。
連結方向は、東海道線の場合は下り側のため、飯田線とは逆に下り向きが正面になる。
この下り向きは第2エンド側で、クモユニ81/クモニ83101~とは向きが逆、奇数車。
なお、パンタグラフは第1エンドではなく第2エンド側だけにある。
東海道線の荷物電車は、1985年3月からは大垣電車区のクモニ143とクモユニ147で、
共通運用らしい。熱海まで来るのは448Mと467Mで、その467Mを撮ったことになる。
当日はクモユニ147であったため、上記の撮影ができた。
※鉄道ピクトリアル2017/05(No931)、郵便荷物電車、P29から
今回の画像は、東海道電でいう山側/(上り向き)奇数車の場合の側面4位2位側。
再掲載の下の画像の側面1位3位側(東海道線海側・飯田線西側)とは異なり窓が多い。
飯田線クモユニ147登場初年81-7から再掲載、この時は西側1位3位側の画像ばかり。
郵便荷物電車の場合は、左右での側面がかなり異なっていることもあったようである。
しかし、この東海道線のクモユニ運用も、最終的に国鉄の郵便荷物輸送の終了まで。
クモユニでの使用は、東海道線の時期を入れても3年半程度、驚くほどの短期間だけ。
そしてその後は、単行運転可能なクモハ123に改造(再改造?)。以下はその一コマ。
クモハ123-41~45の撮影画像は、この1枚しか見つからず、という状況。
旧型国電後の身延線も、飯田線同様に行く頻度が超激減、スナップ写真程度であった。
クモユニ147-1~5→クモハ123-42/43/41/44/45、1987年1~3月に改造
※鉄道ピクトリアル2012/04(No861)P17から
今回、40年前の撮影フィルム復元は、まず飯田線旧型国電を対象にしてきました。
そのため119系やクモユニ147は、撮影の合間に来たついでレベルの認識でした。
よって、40年間よく見てはいなかった多くの画像までも、今回改めて復元作業実施。
自分の撮影であるにもかかわらず、こんな画像があったのか、という状態です。
その、ついでレベルの撮影が、今から思うと貴重な機会であったと改めて感じました。
あくまで来た119系やクモユニ147は、一応は撮る、という消極的な態度でも可ですね。
「くるモノは拒まず、撮っておこう」という先輩方の格言は、本当だったと思います。
ついでに言えば、もう少し真面目に積極的に撮っておけばよかった、でしょうか。
119系やクモユニ147も、その経歴は時代を反映したドラマであったと認識しました。
国鉄末期からJR化の車両も、その激変の時代の流れを大きく反映しているようでした。
次からは165系になりますが、少し間隔があきそうです。
主に、伊那/こまがね/天竜+227M(165系普通電車)を想定です。
少しずつアップいたしますので、どうかよろしくお願いいたします。
参考:ITB時刻表1983/07、1985/03、1987/06
鉄道ピクトリアル2012/04(No.861)新性能1M国電
鉄道ピクトリアル2017/05(No.931)郵便・荷物電車