一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線クモユニ147転属と改造 81-91

1985/08/31 東海道線 熱海、467M 浜松行、クモユニ147-3

 クモユニ147の飯田線の運転は2年弱程のようで、その後は東海道線で使用。

連結方向は、東海道線の場合は下り側のため、飯田線とは逆に下り向きが正面になる。

この下り向きは第2エンド側で、クモユニ81/クモニ83101~とは向きが逆、奇数車。

なお、パンタグラフは第1エンドではなく第2エンド側だけにある。

 

 東海道線の荷物電車は、1985年3月からは大垣電車区のクモニ143とクモユニ147で、

共通運用らしい。熱海まで来るのは448Mと467Mで、その467Mを撮ったことになる。

当日はクモユニ147であったため、上記の撮影ができた。

  ※鉄道ピクトリアル2017/05(No931)、郵便荷物電車、P29から

 

 今回の画像は、東海道電でいう山側/(上り向き)奇数車の場合の側面4位2位側。

再掲載の下の画像の側面1位3位側(東海道線海側・飯田線西側)とは異なり窓が多い。

1983/08/06 飯田線 沢/羽場、1232M 豊橋行、クモユニ147-3+119系2両、再掲載

 飯田線クモユニ147登場初年81-7から再掲載、この時は西側1位3位側の画像ばかり。

郵便荷物電車の場合は、左右での側面がかなり異なっていることもあったようである。

 

 しかし、この東海道線のクモユニ運用も、最終的に国鉄の郵便荷物輸送の終了まで。

クモユニでの使用は、東海道線の時期を入れても3年半程度、驚くほどの短期間だけ。

そしてその後は、単行運転可能なクモハ123に改造(再改造?)。以下はその一コマ。

1987/08 身延線 甲府、左636M 富士行115系と、右730M鰍沢口行クモハ123

 クモハ123-41~45の撮影画像は、この1枚しか見つからず、という状況。

旧型国電後の身延線も、飯田線同様に行く頻度が超激減、スナップ写真程度であった。

 

   クモユニ147-1~5→クモハ123-42/43/41/44/45、1987年1~3月に改造

    ※鉄道ピクトリアル2012/04(No861)P17から

 

 

 今回、40年前の撮影フィルム復元は、まず飯田線旧型国電を対象にしてきました。

そのため119系やクモユニ147は、撮影の合間に来たついでレベルの認識でした。

よって、40年間よく見てはいなかった多くの画像までも、今回改めて復元作業実施。

自分の撮影であるにもかかわらず、こんな画像があったのか、という状態です。

その、ついでレベルの撮影が、今から思うと貴重な機会であったと改めて感じました。

あくまで来た119系やクモユニ147は、一応は撮る、という消極的な態度でも可ですね。

「くるモノは拒まず、撮っておこう」という先輩方の格言は、本当だったと思います。

ついでに言えば、もう少し真面目に積極的に撮っておけばよかった、でしょうか。

 119系やクモユニ147も、その経歴は時代を反映したドラマであったと認識しました。

国鉄末期からJR化の車両も、その激変の時代の流れを大きく反映しているようでした。

 

 

 次からは165系になりますが、少し間隔があきそうです。

主に、伊那/こまがね/天竜+227M(165系普通電車)を想定です。

 

少しずつアップいたしますので、どうかよろしくお願いいたします。

 

 

  参考:ITB時刻表1983/07、1985/03、1987/06

     鉄道ピクトリアル2012/04(No.861)新性能1M国電

     鉄道ピクトリアル2017/05(No.931)郵便・荷物電車