1983年登場から23年後の119系2両編成、冷房/ワンマン化改造/塗装変更が見られる。
クモハ側=飯田線上り豊橋側から撮影。辰野駅飯田線2番線から。(1983年は旧3番線)
3両固定編成から2両編成に短縮されていた。
この編成は、飯田線119系登場初年 81-3、で掲載の下の119系3両編成にあたる。
ただし撮影は下りクハ118側からになるので、編成としては最初の撮影とは逆側から。
クハ118-3/クモハ119-6/クモハ119-5、再掲載81-3
クハ118-3→クハ118-5003→クハ118-5303
クモハ119-6→クモハ119-103(両側運転室改造)→クモハ119-5103
クモハ119-5→クモハ119-5005→クモハ119-5305
中間に入っていたクモハ119は、大半が両側運転室設置改造されていた。
クモハ119-2/4/6/9/13/15/17/19/33→クモハ119-101~109
引用/参考:①②から
同じ3両編成でも、2両編成に、両側運転室車1両増結、のように思えた。
1983年以降では、119系はごくわずかの撮影画像しかないため今回のみとなる。
クモハ119-9→クモハ119-104(両側運転室改造)→クモハ119-5104
引用/参考:①②から
最後は、鉄道撮影目的ではなく家族で永平寺へ行った時のたまたまの1コマ撮影。
これが2024年にも残る119系の末裔の1両。正面からは印象が大きく異なってしまう。
ただ、側面からでは比較的イメージに近い姿が残っていた。
クハ118-11→クハ118-5011→クハ118-5311→えちぜん鉄道7002
引用/参考:①から
飯田線をかつて走行していた旧型国電で、その後さらに譲渡等で残っていた車両は、
富士急のクモハ14や、さらに昔の弘南大鰐線の旧伊那電気鉄道のクハニなどがあった。
上記のえちぜん鉄道7002を見ると、その昔の譲渡車両の走行画像と重複してしまう。
上記編成に福井まで乗車した時には、1983年の頃を勝手に妄想してしまっていた。
参考:①RM LIBRARY 264、105・119系 昭和50年代の1M電車
P54~P55
②鉄道ピクトリアル2012/04(No861)、新性能1M国電
P74~75