一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線 ED62の短い貨物列車 83-4

1980/11/29 飯田線 千代/天竜峡、上り貨物264列車、営業貨車最短両数(0.5両)の貨物列車

 昨日と同じ場所で同じ貨物、しかし貨車は車掌車ヨではなく、有蓋緩急貨車ワフ。

いわゆる合造車で、半室が車掌車で、半室がモノを収納できる有蓋貨車になっている。

今度こそ、少なくとも見かけは貨車最短両数(0.5両)の営業の貨物列車になりうる。

うまく使えば合理的、ただし車掌車の運用にゆだねるため、使い方に難がありそう。

 

 国鉄貨物全盛期で、支線も貨物需要が逼迫、という状況であれば有効利用で効果大。

飯田線の特に北部では、連結両数が限られているからうまく使われた時代もあり得る。

しかし、郵便荷物だけではなく貨物も自動車輸送が増加の時代ではどうであろうか?

もし、車掌車ヨと、有蓋緩急貨車ワフが共通使用等では、貨物室はカラ荷の可能性。

単に車掌車代用で使用の場合も、時には存在していた可能性を勝手に推定してしまう。

こうなると車掌室が半分で狭く勝手が悪いというマイナス面も大きくなる可能性あり。

関係者ではないため実態はよくわかりませんが、どうであったのでしょう?

 

 なお、ワフは飯田線貨物で見たが、ワフ1両だけの貨物列車はこの時だけであった。

 

 

  参考:復刻版 旧型国電国鉄客車ガイドP22-P23