今回はホハ204の各種画像からになる。午後からの運転前に三池港に停車中の撮影。
平井行や万田行きの待機状態の場合は機関車が連結になるため、乗務員室側は先頭には
出てくれない状態。
まずカラー画像を参照。三段窓がずらり並んで圧巻。下段窓に保護棒が見らえる。
手を出さないように等の意味?しかし戸袋窓にある必要はないはず。微妙に思える。
ヘッダーは、モハ63系としての量産製造車と同様に、ドア上に設置が見られない。
天井のへの字型の水切りは特徴になっている。天井でいえばベンチレターが少ない。
端面の中央上には大きな通風口があり、モハ63系のイメージになっていたが、同様。
ドアは古風に見える木製、小型硝子3枚は戦中戦後の大型ガラス不足の時代を彷彿。
しかも一番手前のドアは、交換直後?塗装(退色)が異なり、色が濃く見える状態。
当時ですら木製ドアがホハ200では標準であったのであろうか。
なおドアをよく見ると、一番手前の色が濃いドア中央下で、白抜けの部分がある。
当初はフィルムのゴミ劣化と思ったが、他の画像でも確認できるため画像は正しく、
本当にドアの色が部分的に白いようだ。実際には塗装が一部剥げ落ちたとの推定。
交換したドアの寸法が少し甘く、ドア開閉に伴う当接で表面塗装が擦れた可能性?
もし模型を考えるなら、ドアのこの部分は塗装を剥がすか白塗をするかどうでしょう?
以下、BW画像を続ける。乗務員ドア横には自重24.50頓(トン)との記載が読める。
国鉄客車では22.5~27.5トンの客車は「ホ」となるが、三池鉄道でも同様であった?
そのためホハとなったらしい。当時国鉄の客車には、「ホ」に該当の車両は存在せず、
従って「ホハ」はとても貴重のはず? もう少しアップで撮影すればよかったと後悔。
なお、端部の乗務員室の存在を考慮すると、「ホハフ」の方がより適切の可能性?
右側の印は、三池鉄道(三池炭鉱鉄道)の社紋であろうか?
三池港発の場合は機関車の直後にホハ200が連結であったが、三池港行は逆になり、
ホハ200は最後部になる。鹿児島線の大牟田と荒尾の間に位置する原万田駅で捉えた
三池港行の列車において、ホハ204の乗務員室側の撮影ができた。停車時間は僅か。
国鉄なら一応第1エンド2位側?の端にある梯子状のステップが目に付いてしまう。
こちら側から見ると、電車の雰囲気を感じてしまう。しかし、三池鉄道では、最初から
最後まで客車のままであった。
次回はホハ204の便乗記になります。
参考
三池炭鉱鉄道関係
鉄道ピクトリアル434(私鉄の電気機関車、P30~、P42~)
◇P30:三井石炭鉱業(株)専用鉄道
鉄道ピクトリアル557(九州の鉄道、P130~)
◇P130:三井石炭鉱業(株)専用鉄道
鉄道ピクトリアル721(戦前製旧型国電、P66)
◇P66:三井三池炭鉱専用鉄道
国鉄鋼製電車史 モハ63形、下(私鉄向け概要、P36)
◇P36:三井鉱山三池鉄道はサハ78と同形体のホハ201~205を
客車として自社発注
鉄道ピクトリアルアーカイブセレクション37、 63・73形電車の時代
◇P12:三井炭鉱専用鉄道、ホハ204
鉄道ピクトリアル959(私鉄の63形電車)
◇P52:三池炭鉱専用鉄道、ホハ200形(ホハ204、ホハ201)
◇P52:「日車の車両史」所載の図面によれば、乗務員扉がなく、
前後とも非貫通・・・
写真とイラストで綴る国鉄73・73系電車
◇P158:三井三池炭鉱専用鉄道(ホハ202、ホハ203)