一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

筑肥線の普通列車 12-3(通勤客車 スハフ42 146)

1983/03/16 筑肥線 博多、2549列車 東唐津行、スハフ42 146、博多駅入線直後

 今回は筑肥線電化前に、東唐津まで朝夕1往復の客車列車連結のスハフ42 146から。

オハニ36を差し置いてこちらの車両に注力の理由は、車両の端部のドア近傍の車内の

座席撤去を実施の通勤客車であったため。デッキドアは残したが、両端部から2窓分、

4人掛けそれぞれ4か所ずつ撤去を実施した。そのあとには立客用に吊り輪を設置済。

実際に乗車でスハ43系(スハフ42)の車内の吊り輪をみると、妙な違和感が漂う。

特に、いわゆるロングシートがない状態での吊り輪の存在がどうしてもアンバランス。

 

 客車の通勤改造というと、和田岬線のオハ64/オハフ64(ロングシートが一部のみ)、

オハ41/オハフ41(まさに超ロングシート)、オハ61 1500や50系客車のような配置

(ドア近傍でロングシート)が知られているが、今回のスハフ42 146は別形態になる。

ロングシートがないにもかかわらず吊り輪が設置されているという設備である。

 

 夕方の下り2549列車入線直後では乗客が少なく、最初の画像を撮ることが出来た。

手前側では座席撤去と思える跡が床に見える。そして、吊り輪が新たに設置された。

 

 

1983/03/21 筑肥線 今宿/姪浜間、2530列車 博多行、スハフ42 146

 

 2枚目は、最終日3/21の上り2530列車で、姪浜到着の少し前の減速走行状態になる。

当時の国鉄姪浜駅は、3/21まで地上駅であり、高架下隣の広場のような場所であった?

最終日は祝日、よって立客は皆無であった。そのため吊り輪は自分以外誰も使用せず。

そのため最終日は、自分がスハフ42 146の吊り輪を完全独占使用?してしまっていた。

 

1983/03/16 筑肥線 博多、2549列車 東唐津行、スハフ42 146

 

 鉄道ピクトリアル719(スハ43系Ⅱ)、P78通勤改造の車両の表から、スハ43が5両、

スハフ42が3両について通勤改造該当と読める。しかしスハ43 411は誤記の可能性大。

国鉄客車編成表1980から、スハ43 570と推定。それも含めて以下にまとめる。

以下の表の、スハ43 411以外の11両は、全部竹下配置(門タケ)である。

(竹下所属の客車は、他にオハニ36 14/25があり)

 

スハ43 スハフ42 通勤客車改造車

 

 候補の8両は門タケ(竹下)に集中配置で、筑肥線と他に勝田線で使用されていた。

基本は、事実上朝の筑肥線の2549列車と夕方の2530列車専用となっていたようである。

編成表に記載の車両から、2549列車と2530列車は7両で、東唐津側にオハニ36が1両、

そして2両(スハフ42)と4両(スハ43)の6両中4両(程度)が通勤改造車の実績あり。

ただし1980年から1982年の記載を見る限り、未改造車含めてランダム使用に思えた。

 別途勝田線にも3両編成で使用、こちらも未改造車含めてランダム使用と思われる。

 

 自分が乗車の、1983/03/16下り2549列車には、編成で通勤改造車は2両使用を確認、

スハフ42 146とスハ43 414のみの2両しかなかった。未改造車は4両使用と思われるが、

竹下には未改造車は3両の配属あり、よって少なくとも他区借入車両があったと推定。

なお1983/03/21の上り2530列車では、スハフ42 146に乗車で確認であった。

 

 筑肥線電化後も勝田線の客車使用は継続で、また一部の客車は他線区へ移動あり。

事実上筑肥線の朝夕専用された客車は、はたして他線区で歓迎されたかどうか?微妙。

 

 これらの通勤改造車とは別に、四国にはオハ47の通勤改造あり。これは少々先に

なりそうであるが、同じくオハ61 1500~等も含めて、改めて四国の客車で予定。

 

 

  参考:JTB時刻表1983/03

     鉄道ピクトリアル718/719(スハ43系Ⅰ/Ⅱ)

     国鉄客車編成表1980/国鉄気動車客車編成表1981・1982・1983

     国鉄気動車客車情報1986

     国鉄客車ガイド(1983/07/20、JRR)