一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

南武支線の半世紀 1-1(クハ16215)

1980/10/04 南武支線 川崎新町/八丁畷16215/(11244)

 

 今回からは、南武支線の昔の車両の画像再現と、今の車両の画像比較等を想定です。

前回までの、北海道での列車の走行の撮影とは、掲載画像が大きく異なると思います。

記事内容も観点含めかなり変わると思います。この点につきましてはご了承ください。

最初は、クモハ11とクハ16の2両の旧型国電から。1980/11/17までの営業運転でした。

2両で4編成あり、2運用使用(日曜祝日は変更)となっていました。

以下順に掲載させていただきます。

 

 

 まずクハ16215/クモハ11244の走行、南武支線は距離が短く、撮影が難しい。

それでも北東側が撮影しやすいように思えたが、陽の関係で晴れると朝限定になる。

編成は完全固定ではないが、ある程度決まっていたように思える。なおクモハ11は、

旧31系のみであったが、クハ16は旧30系と旧31系が2両ずつ半々で在籍。

 

 1980/10~11/17までの最末期では、撮影できた編成は以下であった。

   16007/11222、16211/11248、16215/11244

  (16003と11270は、上記時期には撮影できず、もう少し前の撮影のみ)

 

 国鉄電車編成表から抜粋(各年3/31から4/1)、なおクハ16は浜川崎側になる

  1978:16003/11222、16007/11244、16211/11248、16215/11270

  1979:16003/11222、16007/11248、16211/11270、16215/11244

  1980:16003*11222*、16007/11270、16211/11248、16215/11244

   *1980では、16003と11222はバラバラのように読める

    また、12016/11222の編成の記載あり、中原電車区内での連結留置?

 

 土曜含む平日の朝のラッシュ時において2運用が往復するが、その後は日中は1運用、

その後夕方に再度2運用らしい。なお朝のラッシュ時の運用終了の1編成については、

運用終了後に尻手→矢向で回送、矢向の川崎側でその後停止していたとの記憶になる。

なお日曜祝日は変更で、同時に2運用はなかったと思える。ちなみに2025年現在では、

朝のラッシュ時終了後は、尻手から浜川崎経由で弁天橋へ回送されている。

 

 最初に運転席側2位4位側から。南武支線では川崎新町の尻手行ホーム停車中が頻出。

1980/10/04 南武支線 川崎新町、16215/(11244)

 

1977/07 南武線 矢野口、16215(右は11270)

 南武線の本線の基本4両に増結の、附属編成に運用中のクハ16215/(クモハ11270)。

当時はクハ16/クモハ11の2両は、南武支線専用状態であったが、稀に本線の附属編成

(2両)に、クモハ73/クハ79の代用で使用されることがあった。

 朝のラッシュ時で陽がまだ高くないため、光線の関係でリベットがよくわかる状態。

隣の11270と比べ、縦列のリベットが多く見られる。

 

 次に助手席側1位3位側。朝の運用を終えた編成が矢向に停車。ただし停車位置に

よっては望遠レンズが要となる。

1977/04 南武線 矢向、16215(朝の運用が終了して矢向でお休み)

 

1980/11/16 南武線 矢向、16215/(11244)

 

1980/11/16 南武線 矢向、16215/(11244)

 

 今回は、クハ16215。木造電車から半鋼製電車となった最初の系列になる。

 

 クハ16215←クハ16109←クハ38063←モハ30023←デハ73223

   ・廃車は1980/12/15  

  上記は、旧型国電車両台帳から抜粋

   ・1926年製(※1928年の改番で、記号の「デ」は「モ」に変る)  

  上記は、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)P3とP9から抜粋

 ※「木製電車体の弱さは改良の段階に達していたところ、たまたま関東大震災

   により大量の車体焼失をこうむった経験により、(途中略)半鋼製車体に

   切り替えることとなり・・・」

  上記は、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)P8から、抜粋

 

 これらは(旧)30系(内訳は、モハ30/サロ35/サハ36)と呼ばれることが多かった。

その末裔として、当時の国鉄では、営業運転を行なっていた最古の系列電車になる。

すなわち南武支線の、クハ16211とクハ16215のみ。残りの6両については、旧30系の

次の世代の旧31系になり、窓の高さが少し大きくなる。(シールの位置が異なる。)

これは画像で隣の車両との窓の高さやシールの位置の差で、遠くからでも判別が可能。

なおもう1両、クモハ12040が普通車「ハ」として残存はしていた。しかしこの車両は

仙石線陸前原ノ町電車区)で、事実上職用車クモヤ代用で使用、営業運転はなし。

あとは職用車(クモヤ/クモエ/クモル)のみ。それ以外になると私鉄譲渡車両になる。

自分は、その旧30系の最末期の営業運転を、見て乗って撮ることが出来た。

 

 なお16215は、運転室直後の客ドアが両側とも1枚ガラスでプレスなしに交換済。

そのため16211との層別は可能であった。(層別詳細は別途予定)

 

 

 しばらくクハ16とクモハ11の画像が続く予定になります。

 どうかよろしくお願いいたします。

 

 

 参考

   国鉄電車編成表:1978/1979/1980

   旧型国電車両台帳

   国鉄電車の歩み(30系から80系まで)