一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

道北の急行列車 16(急行 紋別)

1984/08/13 宗谷線 塩狩、4602D(遠軽発中湧別/紋別/興部/名寄経由札幌行)

 上り急行紋別札幌行は4両。しかしこの先旭川と深川で併結、結果13両で札幌到着。

そのうち1両は座席指定車(時刻表1984/07、P484)、需要がそれなりにあったようだ。

 

 今回は、急行紋別から。当時見られた支線乗入の複数列車をまとめた急行になる。

朝に各地を出発して午前から昼前頃に札幌着、帰りは夕方札幌発で夜に各地に到着。

地元の人の行動想定で、1往復の支線直通急行は、上記の運行停形態がよく見られた。

 早朝の網走発急行大雪を主体として、紋別、羽幌を途中で連結の3列車として運行。

下りは、網走行、名寄興部経由の遠軽、留萌羽幌経由の幌延行、の長い13両編成。

大雪がキハ82のオホーツクになると、今度は紋別が主体となり、羽幌と深川で併結。

下りは、滝川から普通富良野行をさらに併結で、行先は3方向となっていた。

 なお分割後の滝川から富良野までは普通列車の為、この分割編成には急行名がない。

しいて言えば、急行紋別(の一部)が富良野行になっているという少々違和感の状態。

 

 DC急行は基本2両から可能。(いなわしろのようにキハ52単行の例もあったが)

ECは当時165系が3両から可能。そのため各支線行の併結が、全国で広く行われていた。

直通での運行は、乗客目線では利便性が高く、特急化時にもそのまま継続での要望も

少なくなかったと思われる。しかし現状は河口湖行などごく少数に留まり寂しい限り。

 

 急行紋別の時刻抜粋

  ※JTB時刻表から、1982/09、1984/07、1985/03、1986/03、1987/06

急行紋別時刻表

 3列車併結は時刻が乱れた時は調整が大変そうに思える。なお富良野行は下りのみ。

上りは併結列車が異なっていた(かむい)。

 

 以下は編成抜粋、同じくJTB時刻表から

 

 1982/09

  札幌← 羽幌①②/④+大雪3/2⑥⑦⑧G⑨+紋別⑩⑪⑫⑬ 

   ・①②/④:札幌・深川・留萌/羽幌、④は留萌まで、深川から逆編成

   ・⑥⑦⑧G⑨:札幌/網走、遠軽から逆編成

   ・⑩⑪⑫⑬:札幌・旭川・名寄・興部・遠軽、興部から普通、※名寄から逆編成

 1984/07

  札幌← 羽幌①②③/④+紋別⑤⑥⑦⑧+大雪3/2⑨⑩G⑪⑫⑬ 

   ・①②③/④:札幌・深川・留萌/羽幌、④は留萌まで、深川から逆編成

   ・⑤⑥⑦⑧:札幌・旭川・名寄・興部・遠軽、興部から普通、※名寄から逆編成

   ・⑨G⑩⑪⑫:札幌/網走、遠軽から逆編成

     ※③と⑬は連結しない日あり

 1985/03

  札幌← 紋別①②+羽幌③④/⑤+紋別⑥⑦⑧

   ・①②:札幌・滝川・富良野、滝川から普通、下りのみ

   ・③④/⑤:札幌・深川・留萌/羽幌、⑤は留萌まで、深川から逆編成

   ・⑥⑦⑧:札幌・旭川・名寄・興部・遠軽、興部から普通、※名寄から逆編成

 1986/03

  札幌← 紋別①②+羽幌③④+紋別⑤⑥⑦

   ・①②:札幌・滝川・富良野、滝川から普通、下りのみ

   ・③④:札幌・深川・留萌/羽幌、⑤は留萌まで、深川から逆編成

                         上りは幌延/羽幌間普通

   ・⑤⑥⑦:札幌・旭川・名寄・興部・遠軽、興部から普通、名寄から逆編成

 

 

  参考:JTB時刻表、1982/09、1984/07、1985/03、1986/03、1987/06