一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

山陰線の普通電車 3-12(115系)

1985/08/27 山陰線 出雲市、286M D7編成、クモハ115-1504 1024Dおき4号
失敗画像から強引に復元

 今回は、山陰線115系から。1982年の伯備線電化と同時に、山陰線の一部の区間

伯耆大山~知井宮(西出雲)間が電化された。同時に115系が普通電車として営業運転

開始。当初は6両編成も、1985~1986年頃は3両に短縮となった。

 

 なお、米子~出雲市/知井宮間の普通電車の本数は少なく、4往復のみ。

   ※JTB時刻表1986/08から抜粋

   ※運用は、鉄道ピクトリアル910、P60に1982年電化当初の運用あり

      基本この運用の踏襲と推定

  知井宮605→(280M)→752米子806→(281M)→940知井宮

  知井宮1017→(282M)→1142米子1203→(283M)→1332知井宮

  知井宮1337→(284M)→1452米子1503→(285M)→1611出雲市

  出雲市1619→(286M)→1800米子

              米子2221→(287M)→2336知井宮

 

 最初の画像は、出雲市でおき4号と並んだ湘南色115系。失敗撮影画像を強引に復元

したため、色で違和感ありの画像となっってしまった。なおクモハ115-1504は中間車の

運転室設置改造車になる。

   クモハ115-1504(1983年改造)←モハ115-1039(1978年製)*

 

1986/07/31 山陰線 揖屋、284M F41編成、クモハ115-301

1986/07/30 山陰線 揖屋、284M F41編成、クハ115-348

 次の画像以降は、三鷹から転属の横須賀色の115系になる。山陰線の米子から出雲市

あるいは知井宮までの区間での115系は、当時湘南色でも運転本数は少なく、さらに

横須賀色は違和感ばかりと思ってしまった。

 クモハ115-301(1975年製)*  クハ115-348 (1975年製)*

 

1986/07/31 山陰線 乃木/玉造温泉、286M F41編成、クハ115-348

 

 最後はその20年後、3両編成はさらに2両編成にまで短縮されていた。この2両は

元々中間車であったが、最初に上り側はクモハ115として運転を追加工事実施となり、

さらに後年に下り側はクモハ114として簡易的に運転室を追加。平面的な正面の姿が

特に違和感大であった。

 

2016/09/18 山陰線 松江、G04編成、クモハ114-1173

2016/09/18 山陰線 松江、G04編成、クモハ114-1173

 

2016/09/18 山陰線 松江、G04編成、クモハ115-1515

2016/09/18 山陰線 松江、G04編成、クモハ115-1515

 

    クモハ115-1515(1983年改造)←モハ115-1101(1980年製)*

    クモハ114-1173(2001年改造)←モハ114-1173(1980年製)*

 

 

   参考:JTB時刻表1986/08、1985/03

      *鉄道ピクトリアル910/911115系電車Ⅰ/Ⅱ)付録CD履歴から