一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

道北の急行列車 12-5(急行 礼文)

1986/03/11 宗谷線、306D(上り急行礼文旭川行、キハ27 41車内、美深停車中に撮影

 3月の道北は、基本真冬である。激寒の中で急行宗谷と急行天北を撮ったその夕方。

その時の同行者の誰かが、急行礼文にカーペット車が連結らしい、と言っていた。

カーペット車は、1984年夏に函館/札幌の夜行41/46列車で、実際に乗車した経験あり。

最初に駅員に聞いた時は、青函連絡船の自由席と同じとの記憶。お座敷客車ではない。

確かに横になれて快適かもしれないが、函館での席取り(場所取り)は想像通り壮絶。

そんな話から、稚内に戻らず天北線経由で音威子府から上り急行礼文に乗車となった。

その時に乗車の車内撮影になる。ただし走り出したらどうも揺れが大きかったようで、

最初の停車駅の美深で、停車中に撮ることにした。確かにカーペット車であった。

 ただし1両全部ではなく、連結面寄りに4か所の4人掛けが残る少々不思議な配置。

片側に通路を残し靴入れ設置は、41レへ乗車の時のオハフ46 504と基本的に同様。

2両の急行礼文のうち稚内寄りの1両が該当。不鮮明であるがキハ27 41と読めそう。

間違っていたら申し訳ございません。国鉄末期の北海道は、カーペット車が複数存在。

なお札幌/函館間については、旧型客車/カーペット車を含めて別途編集を想定です。

夜行列車ではないが、上り急行礼文は乗車率が高くゆっくりできる状態ではなかった。

結局、お試し程度でカーペット車の端に少し座った程度、雑魚寝ができた記憶は無い。

途中からの乗車ではしょうがないと納得していたような記憶であった。

 

 急行礼文は朝に旭川発、夕方稚内発で、札幌発着の特急には接続していなかった。

どうも稚内で急行天北の一部として往復の運用らしい。それが宗谷と天北が14系客車

に置き換わってから時刻が大きく変わり、札幌/旭川間の特急へ接続が可能になった。

そして1987年に見た時はキハ54に置き換わっていた。以下JTB時刻表から抜粋。

  その1985年3月、特急接続時に高速化、停車駅も思い切って減らして実現していた。

なお停車駅はその後一部復活。ご参考です。

 

急行礼文時刻表

 なお編成は、道内時刻表には2両編成の表示あり。通常は2両であったようだ。

 

 

 参考:JTB時刻表 1982/09、1984/07、1985/03、1986/03、1987/06

    弘済出版道内時刻表 1989/05他

 

 ※次は急行宗谷になりますが、その前に小湊鉄道キハ40追加予定です。