一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線 ED62の短い貨物列車 83-1

1980/11/03 飯田線 田切/伊那福岡、上り貨物274列車(8:45頃)

 今回からは、1980年から1983頃のED62牽引の飯田線の貨物列車のまとめを予定。

EF10やED18/ED19のネガの劣化が酷く、復元に時間を要するため、まずはED62から。

いずれも積極的な撮影ではなく、来た列車はとりあえず撮っておこうという状況。

今回復刻版 旧型国電国鉄客車ガイドのを改めて確認したところ、そのP22-P23に

1981年頃の飯田線ダイヤがあり、ここから貨物列車についてある程度推定を行なった。

そのため、正確ではない可能性あり(間違っていたら申し訳ございません)。

 

 飯田線の貨物列車で一番の印象は、とにかく短いこと。特に北部ではこれが顕著。

電車も4両編成まで、貨物列車もDE62と車掌車を除ければ、あとはせいぜい4-5両程度。

しかも、ED62牽引の1両貨車=車掌車ヨか、車掌車合造貨車ワフ、の時が何回もあり。

印象的には、メルヘン的な走行画像になる。

 

 上記の、上り貨物274列車は、その前の時間に撮影があり、この時の撮影が以下。

1980/11/03 飯田線 大田切/宮田、上り貨物274列車(7:55頃)

 この先の駒ケ根で貨車3両が切離され、機関車ED62と車掌車だけになったと推定。

駒ヶ根で長時間停車中に、移動した232Mで追いつて、一番最初の撮影となっていた

 

 貨物列車と言うと、一般的には上記のような短い列車を思い浮かべるのではなく、

機関車の後に多くのの貨車を連ねた、長い貨物列車のイメージが多いのではないか。

以下は、高校の時の国語の授業?でかすかに覚えていた記憶になる。

  長き長き 春暁の貨車 なつかしき(加藤 楸邨)

理系の自分は、この種の内容は大半忘れていたが、この句だけは良く覚えていた。

早春の朝の貨物列車を見て思ったのであろうか。操車場を出てゆっくり走る姿を想像。

 

1982/10/05 東北線 金谷川/南福島(上り線)、上り貨物

 上は、季節も時間も異なり、それなりの速度で走行の東北線の上り貨物列車の例。

最後部が木々に隠れて見えないような、いわゆる長い貨物列車になる。40両ほど?

この様なイメージとは全く異なる飯田線の短い貨物列車には、また別の魅力があった。

 

 

  参考:復刻版 旧型国電国鉄客車ガイドP22-P23