今回は、弘南鉄道大鰐線のクハ2251から。戦前の富士身延鉄道→身延線→飯田線、
その後に弘南鉄道へ移譲された後年の撮影になる。いわゆる買収国電の仲間になる。
飯田線での実際の走行は、自分の上の世代の当時の諸先輩方の画像で見るばかり。
しかし当時、このような車両がまだ地方私鉄で、実際に営業運転を行なっていた。
弘南鉄道では、弘南線/大鰐線ともに、省電/阪和/富士身延/伊那電など、雑多な車両が
多数稼動しており、ちょとだけ撮る、では終わらずの状態になってしまった。
富士身延鉄道の車両は4両撮れており、今回はクハ2251からになる。
手前が、富士身延鉄道からのクハ2251。クモハ14をもう少し小型にして、3ドア化
されたようなイメージを持っていた。この時は天気が今一つで岩木山はおぼろげ状態。
同じ様な位置からになるが、翌年に、最初の画像の撮影ができた。車両も同じである。
弘南クハ2251←弘南モハ2251←国鉄モハ1201←鉄道省モハ9302
←富士身延モハ101(1927年製) ※3ドア化は弘南鉄道移譲後に実施
連結相手のモハ1120は、クモハ11124。旧省電と旧買収国電の現役走行になる。
これが来るようでは、ちょっとだけ撮る、では済むわけがない。このような車両は、
朝に少しだけ動いて、あるいは予備車的な使い方で、大半の時間は車両基地でお休み、
と勝手に認識していた。特に何も知らずに行った1回目は、その走行をみて、その後の
予定が大幅に変更とならざるを得ない状況になってしまっていた。
参考:旧型国電車両台帳(P233/271)
RM LIBRARY 132/133弘南鉄道、上(P40)、下(P18-19、43)他
上P40記載(弘南2251は富士身延モハ102)は、モハ101が正しいと思われる
RM LIBRARY 238買収国電(P21、他)
写真とイラストで綴る買収国電(P82、他)
国鉄電車の歩み(30系から80系まで)