一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線旧型国電最後の力走8(56011/51200)

1980/11/29 飯田線 千代/天竜峡、1221M 辰野行、
クハユニ56011/クモハ51200/クモハ54117/クハ68408

 うすら寒い晩秋の朝、谷間にようやく陽が差して川まであたる状態になった。

今日の1221M最後部はクハユニ56011、郵便荷物室の大ドアの窓が一部塞がれている。

当時飯田線に行った人なら、車両に詳しくなくともこの合造車は記憶にあると思う。

4両編成が多く、クハユニ(クモハユニ)の相手側の車両は先頭に出にくい状態。

なお、この時は相手はクモハ51200であったが、後日は別の車両になっていた。

 

1980/07/25 飯田線 伊那松島機関区、クハユニ56011

1980/07/25 飯田線 伊那松島機関区、クハユニ56011

1975/08/21 飯田線 上片桐、1226M 豊橋行、クハユニ56011

 大沢信号場(伊那田島/高遠原)からのタブレット〇は既に渡して掛けられている。

駅員が右手に持つのは、次の伊那大島までのタブレット△、出発信号を確認実施。

手前では、郵便荷物を手渡し中。まだ鉄道荷物も鉄道郵便も日常的に使われていた。

クハユニをキハユニやオハユニに変えたら、全国のローカル線で普通に見られた光景。

 

 クハユニ56011←61002(1943年年製)

元はモハユニ61として予定されていたが戦中の部品不足でモーターなど電装されず。

結局クハユニのまま40年ほど使用されていた。同型車はクハユニ56012がある。

011は正面運転席窓では、末期はHゴムでワイパーが上から、012はワイパーが下から。

また011は側面荷物郵便ドア窓が一部塞がれている、等の差があり、区別は可能。

 

1982/11/27 飯田線 飯田、1222M増結待ち、クモハ51200

 1222Mは、辰野→飯田が前からクモニ+ハユニ+ハの3両で、飯田から5両になる。

この時は、相手側はクハユニ56012ではなく、クハユニ56002に変更になっていた。

1983/04/10 飯田線 伊那松島機関区、クモハ51200

 クモハ51200は、モーター出量の差があるが外観はクモハ50008とよく似ている。

末期では、正面は運転席窓Hゴムのワイパーが、51200は下から、50008は上から.

屋根上パンタグラフも、51200はPS11、50008はPS13で、異なる形状になっていた。

側面ドアは、51200はどちら側も2段ガラスのドアがあるが、50008は全部1枚ガラス。

助手席側1位3位側は両側ドアが2枚ガラス、運転席側は2位側ドアのみ2枚ガラス。

なお、床下確認で、抵抗器/電気側が助手席側のため、偶数設計車に見える。

1978/08/08 飯田線 豊橋、クモハ51200

 1978年の半数置換前では、正面運転席窓はまだ木枠のまま。その後Hゴム化された。

 

 クモハ51200←43002(1933年製)

大元は京阪神間の戦前の普通電車用であったが、横須賀線に移動後に中央ドア増設。

さらに飯田線に移動で1983年まで、およそ50年間現役で使用されていた。

 

  参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、

     国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版

     時刻表 1978/07、1980/07、他