うすら寒い晩秋の朝、谷間にようやく陽が差して川まであたる状態になった。
今日の1221M最後部はクハユニ56011、郵便荷物室の大ドアの窓が一部塞がれている。
当時飯田線に行った人なら、車両に詳しくなくともこの合造車は記憶にあると思う。
4両編成が多く、クハユニ(クモハユニ)の相手側の車両は先頭に出にくい状態。
なお、この時は相手はクモハ51200であったが、後日は別の車両になっていた。
大沢信号場(伊那田島/高遠原)からのタブレット〇は既に渡して掛けられている。
駅員が右手に持つのは、次の伊那大島までのタブレット△、出発信号を確認実施。
手前では、郵便荷物を手渡し中。まだ鉄道荷物も鉄道郵便も日常的に使われていた。
クハユニをキハユニやオハユニに変えたら、全国のローカル線で普通に見られた光景。
クハユニ56011←61002(1943年年製)
元はモハユニ61として予定されていたが戦中の部品不足でモーターなど電装されず。
結局クハユニのまま40年ほど使用されていた。同型車はクハユニ56012がある。
011は正面運転席窓では、末期はHゴムでワイパーが上から、012はワイパーが下から。
また011は側面荷物郵便ドア窓が一部塞がれている、等の差があり、区別は可能。
1222Mは、辰野→飯田が前からクモニ+ハユニ+ハの3両で、飯田から5両になる。
この時は、相手側はクハユニ56012ではなく、クハユニ56002に変更になっていた。
クモハ51200は、モーター出量の差があるが外観はクモハ50008とよく似ている。
末期では、正面は運転席窓Hゴムのワイパーが、51200は下から、50008は上から.
屋根上パンタグラフも、51200はPS11、50008はPS13で、異なる形状になっていた。
側面ドアは、51200はどちら側も2段ガラスのドアがあるが、50008は全部1枚ガラス。
助手席側1位3位側は両側ドアが2枚ガラス、運転席側は2位側ドアのみ2枚ガラス。
なお、床下確認で、抵抗器/電気側が助手席側のため、偶数設計車に見える。
1978年の半数置換前では、正面運転席窓はまだ木枠のまま。その後Hゴム化された。
クモハ51200←43002(1933年製)
大元は京阪神間の戦前の普通電車用であったが、横須賀線に移動後に中央ドア増設。
さらに飯田線に移動で1983年まで、およそ50年間現役で使用されていた。
参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、
国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版
時刻表 1978/07、1980/07、他