飯田線の山中の区間では、小駅は閑散であるが、唐笠は例外、簡易売店まであり。
天竜峡からの川下りの船客を、天竜峡まで帰すための一定の乗客輸送を受け持つ。
自動車輸送が厳しい状況を理解、ただし1226Mは上りのため上記には貢献していない。
ちょうど川下りの船が到着してきたところ。30分後の257Mで戻るのであろうか。
一度川下りを体験して、天竜川から飯田線と出来れば電車を眺めたいと思っていた。
しかし1983年8月以降は残念ながらこの区間は一度も来ておらず、未達状態である。
運転席側(2位4位側)は停車中の画像はなく、お恥ずかしい状態になってしまった。
クハユニ56002←67003(1939年製)
1978年の半数置換以降に、運転席側窓はHゴムされていた。
クハユニ56は全部で6両配置で大きく2分される。豊橋/辰野間の直通電車に主に使用。
001~004がクハニ67から、荷物ドアと郵便ドア間、郵便ドアと客ドア間窓が各1個。
011と012はモハユニ61(ただし電装モーター等なし)から、上記は窓が各2個あり。
001~004のうち002は助手席側(1位3位側)は客ドアが2枚とも2枚ガラスで区別可能。
正面窓は、001は3枚ともHゴム、002~004は運転席側がHゴムとなっている。
中央窓の下側木枠が002が少し大きいため、001から004内でこれも区別が可能。
奥側に郵便室、その右側のドアが2枚ガラスのため、クハユニ56002である。
郵便荷物と普通客室が同居する合造車。他に、クモハユニ、もあり。
キハユニ、オハユニ/スハユニなどが全国のローカル線で使用されていた。
運転席側の後ろ、ドアの隣に通風機が残っていてとても貴重。両側ともに存在。
両側運転室車両のクモハ61003。運転室ドア下左に②が見えるためこちらが主運転室。
よって、このパンタグラフがある方、すなわち下り向きとなり偶数車となる。
しかし運転席側の床下に抵抗器/電気側が確認、そのため奇数車設計になり、違和感。
両側運転室車両で奇数偶数向き自体が疑問。(主の運転室はどちら、という意味?)
中央ドアはパンタグラフのない方に開く。これも他の車両(クモハ40含む)と同じ。
単純に、上り下りの向きを方向転換して配管配線を逆に改造したように感じてしまう。
ただし、参考文献他を見る限りでは単純な話ではなく、複雑な事情があったらしい。
単行運転のクモハ61003。当時は営業運転では基本見られず、回送で見ただけ。
撮影できたのはこの一度だけで、突然やってきて、瞬間的に構えた結果が上の画像。
助手席側窓は木枠のまま。両側に幌を備え、編成の上り下りどちら側にも連結可能。
工場入場記録、銘版等が見られることから、こちら側は主運転室ではないと思われる。
クモハ61003←40003(1932年製)
基本はクモハ40のモーター出力増強車のため、外観上はクモハ40と基本同じになる。
なお、他のクモハ61004/005、そして宇部小野田線のクモハ40023/067、大糸線の077
青梅五日市線の033/039/061/071/072/073の画像を今回全部見直して、再確認実施。
しかし見た限り全部奇数車であり、偶数車はクモハ61003しか見つからなかった。
ただし中央の客ドアの開く向きについて、怪しい車両が存在するようである。
参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、
国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版
時刻表 1983/03、他