新宿発の夜行を辰野で降り、早朝の1222Mに乗車で千代まで乗車、ここで構える。
ここでの各種撮影画像が結構出てきており、何回か通った場所になってきていた。
クハユニの隣は、今回はクモハ53000。この車両も先頭に出にくい車両になる。
この画像は次回にして、今回はクハユニ56012をアップとなる。
クハユニ56012←61003(1943年製)
製造予定はモハユニのはずが戦時中で電装されず、結局そのままクハユニとなった。
同型車はクハユニ56011があるが、郵便荷物ドアや正面運転席窓ワイパー位置で区別。
詳細は15-2(56003/54006)参照ください。
連結のクモハは53000が多かったようであるが、61005の画像もあり、たまに変更?
置換直前の時期、すでに80系は119系に置き換わっており、左奥に見える。
運転席窓がHゴム改造前の姿。1978年8月には運転席側窓がHゴム化の画像あり。
このころにクハユニ56は順に手が加えられた可能性がある。
なお1978年の半数置換前は、豊橋機関区41~44運用(末期の93~96運用に近い)。
なお、隣の車両はクモハ61ではなくクモハ42+クモハ42で、3両編成であった。
豊橋機関区41~44運用には、クハユニ56+クモハ50+クモハ54が多く、それ以外に
上記のクハユニ56+クモハ42+クモハ42、の編成が混じって共通運用されていた。
当時のネガは画像劣化がかなり進行、今後時間がかかるが復元に取組たいと思います。
郵便荷物輸送に鉄道が使用されていた頃。郵便はリアカー満載状態で繁盛の様子。
ホーム上にも荷物が山積み、荷物室に入るのだろうか、妙な心配までしてしまう。
特に山間部の平岡などでは道路整備が不十分で、郵便荷物輸送は必要であったようだ。
参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、
国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版
時刻表 1982/09、他