一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線旧型国電最後の力走13(54106/56011)

1983/05/03 飯田線 高遠原/七久保、1222M 豊橋行、
クモニ83102/クハユニ56011/クモハ54106

 伊那の初夏の早朝、まだ午前6時過ぎ、期待の1222Mが3両編成でやってきた。

先頭はクモニ、次はクハユニで、3両中の客用車両はわずか1両半、50%のみ。

飯田線の中央の区間は道路事情が良くなく、郵便荷物の鉄道輸送は重要だそう。

飯田まで3両、そのため陽が長い季節でないと3両の1222Mの走行撮影は難しい。

背景は残雪の中央アルプスの山々。平野部からの眺めでも十分に美しい。

 

 1983年5月3日、辰野駅早朝、中央線下り夜行急行列車が、新宿から4本到着。

飯田線の接続は、4:29発の222M(飯田から急行伊那2号)と4:47発の1222M。

しかし、これまで見たことがない多くの客が222Mと1222Mに乗り込んでいく。

駒ヶ根から中央アルプス千畳敷への登山客らしきグループが何事かと戸惑う。

千代へ行くなら1222Mであるが、1222Mを撮影で、先行の222Mに乗りこむ。

165系4両の222Mは立席が辛うじてない程度でほぼ満席、乗客は撮影者ばかり。

満員の1222Mを横目に発車、うとうとで七久保着は5:49、ここで下車、歩く。

空は晴れて山も良く見える。いい天気になりそう。俯瞰地点までは遠くない。

やがて、七久保発6:11の1222Mが山々を背にやってきた。期待通りの3両編成。

それはまるで夢の様な、しかしその一瞬の光景は忘れがたいものとなっていた。

 

 

1978/08/08 飯田線 牛久保、クモハ54106

1983/04/09 飯田線 辰野、クモハ54106

 クモハ54106←60034(1940年製)

旧40系改造車で、1978年以降の末期は伊那松島に10両。うち下り偶数向きは4両。

クモハ54108で記載の通り、側面戸袋窓が木枠が、54106と54112の2両が存在。

正面で運転助手席側窓が木枠は54106,角なしでHゴム似の形状が54112で区別。

なお最末期1983年の3~5月は、56011/54106、56001/54112、の組合せを見た。

 ただし54106の正面は、残念ながら1978年半数置換前しか撮れていない状態。

クハユニと組合せの下り偶数組のクモハは、特に走行中の正面の撮影が困難。

54112も似たようなものでなかなか先頭に出てくれず。これらはまた改めて。

 

クハユニ56001、上段:1983/05/03 1222M拡大、下段:1980/07/25 伊那松島機関区

 今回1222Mの画像では、クハユニ56011の郵便室ドア横窓が1か所見られない。

1222Mの画像と、3年前の1980年の画像=8(56011/51200)掲載の画像と比較。

時期的に本当の最末期1982~1983年の改造か、本当に末期まで手が加わるとは。

余程何か不具合的な事情なのか、よく観察しなければいけないと改めて実感。

 

 

 伊那松島所属の営業車48両で、クモハ(ユニ)は25両、クハ(ユニ)は23両。

よって運用中の走行写真は25組になる。それをこれから順にまとめてみたい。

 

 

  参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、

     国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版

     時刻表 1983/03、他