1978年の戦前車半数置換後は、撮影は北部中心になっており、南部区間は久しぶり。
三河大野の北側での撮影。少しずつ春らしくなってきている。今日の天気は今一つ。
電車本数が少ないため、三河槇原でしばらく構えていたあとに、本長篠まで歩き。
1225Mは、以前は飯田線豊橋機関区33運用、クモハ52が北部まで行く唯一の運用。
半分聖地的な番号として感じていたが、その後は80系に置き換わっていた。
この時初めて18切符を使用。1回目であったこの時は「青春18のびのび切符」。
現在とは少々異なり、4枚つづり(バラしてもOK)で1枚は2日券、5月末までの記憶。
当然ヘビーユーザーになっていた。行先によって周遊券と使い分け、あるいは併用。
特に周遊券では行きにくい場所には重宝していた。
難点は、行程がマトモではなくなってしまうこと。当時の行程再現には慎重になる。
東海道線345M/340M、中央線441M/442Mの多用、では、翌日との繋がりは微妙。
当時のフィルムには、飯田線の翌日に磐越東線の旧型客車の画像があったりしている。
自分だけではなく当時の同行者も、普通の友人に「どこに行ったの」と言われて困窮。
土日に信州と南東北に行ってきた、とは言い難く、適当にどちらかを選ぶしかない。
もし何かお土産でも買った場合、どこで買ったか考えて答えないと面倒になる。
また、340→345Mや442→441Mの富士や初鹿野(甲斐大和)での深夜乗換もあり。
これは同じエリアに翌日も撮影希望の場合の超強硬策。当然ものすごく疲れる。
時間的に可能なら、夜間に東京や新宿まで戻って345Mや441Mに乗車が望ましい。
しかし撮影時間優先で、戻りが困難な場合は、超強硬策になってしまうときもあり。
当時は駅寝は基本避けていた経緯。(待合室が閉められる場合がとても多かったため)
いずれにしろ18切符にはとにかくお世話になりました、であり感謝以外にはない。
ただ年に1回程度に減ってしまっても、再雇用の年齢の自分もいまだに現役ユーザー。
正確には過去形ではなく、「今年もお世話になっております」、の継続状態である。
時刻表 1981/12