今回は、②の荷2042Mのクモニ83101から。
なお、荷2042Mは天竜峡行で、その後1232Mに増結で6両で豊橋まで戻る運用になる。
1232Mは豊橋で344M/340Mに間に合わず、そのため南部では乗車撮影等の機会無し。
荷2032Mは、基本クモニ83+クモニ13の2両編成で、辰野発は15時を少し過ぎた頃。
なお、伊那松島から浜松工場入場車両などが、荷2042に増結の時があるらしい。
陽が長い時期は、辰野近傍に限らず、伊那松島よりも南側でも十分に撮影は可能。
当時飯田線にある程度撮影に行った方なら、荷2042Mを撮った方は多いのでは?
この2両編成の印象はとにかく強烈で、245Mと同様に特に撮影対象になっていた。
この編成を見ると、まるで夢の世界へご招待の様な、現実離れした雰囲気があった。
まずは飯田線豊橋機関区に配置のクモニ83101/102/103の共通事項から。
3両とも下り向き運転室下に印①②があり、そのため主運転室になる。下り偶数向き。
上り側の運転室正面下に、3位側に工場入場記録など、4位側に銘版などが見られる。
下り側のパンタグラフのみを使用。避雷器は下り側パンタグラフ近傍にしか見られず。
少なくとも上り側のパンタグラフを上げている走行は一度も見ておらず、撮影もなし。
基本は2両使用で、クモニ13とは運用が別で分かれていたが、時に混用もされていた。
特に1982~1983年頃は、撮影画像を見ると実際に混用が複数回確認されている。
基本的な使用は以下になる。全部一番上り側車両になる。
・荷2041M/245Mの最後部上り側と、荷2042M/1232Mの最前部上り側
・1222Mの最前部上り側と、1227Mの最後部の上り側
よって下り側運転室は、上記営業列車において通常は先頭や最後部に出てくれない。
ただし、1222Mが豊橋到着後、1223M折返し時に、豊橋駅構内で切離しの作業あり。
1223Mが発車後にクモニ83が単独となり、その後に豊橋機関区に回送で入庫する。
この時にのみ、運用中に下り側の主運転室側の正面が見られる。
クモニ83の上り側の画像が多い理由は上記による。
自分の場合、83101の下り側運転室正面の撮影画像は結局見つけられなかった。
以下はクモニ83101個別になる。クモニ83102/103と比較しながら確認になる。
下り第1エンド側パンタグラフ近傍の避雷器が、下りの助手席側1位3位側に設置。
クモニ83102と103は下り運転席側。ただし屋根上のため少しわかりにくい場合あり。
上記以外では、上り側2番目乗務員室の手摺が、クモニ83101と102では無し。
クモニ83103にのみ存在していた。
上記はハード面になるが、塗装と表記関係でも特徴。ただし撮影年代で注意あり。
まず荷物表記であるが、1980年頃から1983年置換までの最末期は、以下。
83101:下り側から2番目と6番目の窓下
83102:下り側から3/4番目(中間)と、5/6番目(中間)の窓下
83103:下り側から2番目と7番目の窓下
1位3位側(東側、電気側)、2位4位側(西側、空気側)でともに共通。
側面が映っていれば、上記を確認しながらの3両の車両判定は基本的に可能である。
ただし要注意は年代。1975年から1979年頃は上記とは異なる。以下参照。
別途で、車両の番号表記が異なる点あり。基本中央大ドア左側に表記になる。
ただし83101と83102の1位3位側(東側、電気側)のみ、大ドアの右側。
上り側正面の助手席側3位側下の浜松工場入場記録の表記位置にも差あり。
クモニ831012と102に比べ、103が中央寄り記載。上り側正面画像では103は判定可能。
詳細まとめですが以下、表と実車対応が上にありますのでご参照ください。
以下追加資料です。
飯田線 旧型国電等(上)二扉車・合造車他:1980年より少し前の画像が多いです。
ザ・べストNゲージ旧型国電:クモニ83101~103製作でP33とP46~に資料あります。
実車再現レベルが、とにかく驚くほど凄いレベルと感じました。
なおP47のクモニ83101の上り第2エンド側で、浜松工場入場記録が103と同様に
中央寄りで製作の様です。しかし自分の画像では1978年頃も1980~1983年頃も
102と同様のため、この点だけ再確認中です。
参考:決定版 旧型国電車両台帳
国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、
国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(下)
JTB時刻表1980/07、 1981/12、1983/03他