一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線旧型国電最後の力走2-3(53007/68400)

1982/11/27 飯田線 平岡/為栗、253M 天竜峡行、クモハ53007/クハ68400

 昼過ぎの2両253Mに、クモハ53007/クハ68400が入った。陽もうまく当たっている。

水面は残念ながら鏡面まではいかなかったが、多少とも映った姿は見られていた。

 天竜峡から上り電車に乗ると、天竜川を渡って川の東側を線路が走るようになる。

そのため南北に走る線路は昼から午後に順光、為栗近傍も概略そのような状態。

従って、85運用単独2両編成の昼の238Mと253Mは、特に貴重で狙いたい電車になる。

旧型国電4両編成では1226M狙い、これ以降は日が短い季節は陽が当たらない可能性。

80系は257Mを狙うことになる。当時の為栗駅の時刻再現を下に再現、御参照。

時刻表1982/09から、飯田線為栗駅発車時刻を抜粋

 駅前に民家二軒のみの超閑散駅にしては、この本数は多いように感じてしまう。

飯田まで早ければ1時間15分程度?、天竜峡や平岡までならもっと短い時間で可能。

通勤通学で通えなくはないが、自動車乗入不可の駅前民家に住んだらどうでしょう?

ちなみに4:49発の下り229Mに乗れば、天竜峡でこまがね2号、天竜3号に接続する。

新宿着11:43、長野着9:52。国鉄のネットワークはそれなりに機能していたと実感。

 

1982/11/28 飯田線 辰野、クモハ53007

 なお運用番号は、11/27の平岡/為栗での撮影日の85のまま(本当は86のはず)。

この時に限らず、運用番号の表示は、時々前日のままという場面に遭遇していた。

 

1980/07/20 飯田線 豊橋、833M 豊川行、クハ68042/クモハ53007

 クモハ53007の連結面。幌上の連結面側の通風機は、既に塞がれていた。

 

1983/03/05 中央線 辰野、223M 茅野行、伊那大島発の4両に辰野から2両増結
クモハ53007/クハ68400/クモハ54133/クハ68409/クモハ43015/クハ68414

 飯田線から、朝の中央線乗入の6両編成223Mの最後部になるクモハ53007。

中央線乗入の朝の223M/238Mの茅野/辰野間と、夜間の1232Mの天竜峡/豊橋間では

旧型国電の6両が見られた。(1232Mはクモニ83/クモニ13等含む6両編成になる。)

上記以外に、豊橋近傍では80系の4+2両編成も朝夕に2運用存在していた。

 

 

  参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、

     国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版

     時刻表 1982/09、1983/03他