一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線旧型国電最後の力走26(83101)

1982/03/09 飯田線 千代/天竜峡、245M 辰野行、
クモニ83101/クモニ13025/クモハ53001/クハ68404

 撮影の編成は、4両編成中にクモニが2両も連結の245M。旅客より荷物輸送重視?

飯田線で最も好みであったのが245Mで、最重要撮影対象として計画を立てていた。

 新宿発の夜行で早朝に辰野1222M乗換、千代下車で、最初に来るのがこの245M。

朝の8:40頃では、春先なら河底まで十分に陽があたっており、基本順光で撮影可能。

 

1980/11/29 飯田線 千代/天竜峡、245M 辰野行、
クモニ83101/クモニ13026/クハ68403/クモハ50008

 しかし晩秋は陽が厳しい。245Mにスポットライトが当たったような不思議な状態。

最後部のクモニ83101は、窓下半分が影になったが、横須賀色の濃い青に紛れていた。

 

1983/04/10 飯田線 伊那松島/沢、245M 辰野行、
クモニ83101/クモニ13025/クモハ43015/クハ68414

 北部であれば、昼前辰野着のため、陽は高く光線自体は特に問題なく、撮影が可能。

問題はこの編成が1日で下り1本のみのこと。失敗は出来ず、緊張感での撮影であった。

原則1列車1シャッター、後追いも含めた場合でも2画像まで、特にCLは高価で厳しい。

連写などは余程特別な場合ではない限り実施しなかった、というよりできなかった。

しかしどうも連写は必ずしも成功があるわけでもなく、1シャッター特化が良かった?

微妙で、何とも言えませんね。

 

 クモニ83は、旧80系の郵便荷物電車モユニ81の改造車で、荷物室のみになる。

荷物電車は、クモニ83101/102/103と、クモニ13025/026の5両が豊橋機関区に配置。

使用はクモニ83は2両、クモニ13は1両で、運用は区別、しかし時々混用も見られた。

 

 ① 荷2041M・245M:クモニ83+クモニ13+2両(下り側)で、豊橋→辰野

 ② 荷2042M:(上り側)クモニ83+クモニ13で、辰野→天竜峡

    1232M:(上り側)クモニ83+クモニ13+2両+2両で、天竜峡豊橋

 ③ 1222M:(上り側)クモニ83+クハユニ/クモハ+2両*で、辰野→豊橋

    1222M*:飯田→豊橋間は2両増結で5両

 ④ 1227M:クモニ83+クハユニ/クモハ+2両**(下り側)で、豊橋→辰野

    1227M*:豊橋天竜峡は2両増結で5両

 なお1978年の半数置換前は、特に④で少し異なるが、おおむね似ている。

   基本、①→②で、クモニ83とクモニ13が、豊橋→辰野→豊橋を1往復する。

   別途、③→④で、クモニ83が、辰野→豊橋入庫→辰野で同じく1往復する。

  詳細は以下参照。

飯田線荷物電車時刻表

 クモニ83は前述のように、101/102/103の3両が、豊橋機関区に配置されていた。

 まずはクモニ83101から、詳細は次回予定。クモニ83101←81004(1950年製)

1980年頃から置換までの頃では、下りから2番目と6番目の窓下に荷物文字がある。

下り側が主運転室で第1エンド、東側1位3位側、西側2位4位側とも上記は同じ

 

 今回の画像は、①245Mのクモニ83101から。なお、荷2041は、見たことがない。

347M/345Mの豊橋着では少し間に合わない時間のため、捉えることは簡単ではない。

豊川駅近くに宿泊したとき、早朝の荷2041Mと思える音を聞いた記憶があるだけ。

245Mは最重要撮影対象であったため、千代より北で何回かの撮影画像が残っていた。

 

  参考:決定版 旧型国電車両台帳

     国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、

     国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(下)

     写真で綴る 飯田線の旧型国電 増補版、*P65の運用表から引用

      *なお1232M豊橋着では、下り側は76ではなく82運用と思われる

     時刻表1981/12、1980/07、1983/03、1978/07他