一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線119系登場初年とクモユニ147 81-6

1983/08/06 飯田線 川路/時又、1221M 上諏訪行、2両+クモユニ147

1983/08/06 飯田線 川路/時又、228M 天竜峡行、119系3両

 旧型国電最終運転2回目の時の画像になる。露出を間違ったようで明度修正を実施。

ただしどうも青が少し被るような印象あり。色相による変化が同一ではない感じ。

今回もyasuo_ssi 様から紹介のGIMPで取込んで、Bを抑える補正を2枚とも実施。

補正の程度が難しいが、今回は各段階のうち若干抑え気味の上記を選定です。

 ここは下り向きにもある程度陽が当たる場所、クモハ53008側を主体で撮影を想定。

その臨時最終電車の前に来た1221Mと228Mを、同じ様な位置での撮影となっていた。

そのため、クモユニ147は一番後ろになる。先頭の画像は次回予定。

 6月末の旧型国電の一般運用終了に伴い、3回実施の臨時電車運転による最終運転は、

2回目が良く晴れていたようで、この時はクモユニ147も含む119系の撮影も複数あり。

 なおどちらも正面横手摺が白帯の上で被っておらず、そのため119系2次車となる。

3両編成(先頭はクハ119-24に読めそう)にもあったらしい少数の2次車でしょうか。

クハ119-24なら参考資料から、2次車最終番号のため、手摺位置は2次車仕様になる。

 

 この時使用の乗車券は、経費節減のため18切符+追加乗車券。

この前日に限り運転の、中央線臨時下り普通列車運転(12系の記憶)を利用でした。

 08/05金:新宿2333→(9631レ)→525辰野

 08/06土:辰野613→(226M)→916川路

 

 ちなみに以下はおまけですが、夜は442Mで18切符をもう1日追加使用している。

東京をそのまま通り越して、鹿島神宮まで直行。乗換で鹿島港南まで行っていた。

18切符は北鹿島まで有効のため、北鹿島→鹿島港南の追加料金で乗車OKであった。

 18切符利用の場合の撮影画像では、飯田線→鹿島臨港鉄道の画像が急に続いてくる。

自分で計画を立てたはずなのに、40年経過すると行動パターンの解析が少々困難。

もっと複雑な行程の場合は、本当に理解が困難な場合もあり、難航の場面もあります。

当時の時刻表を中古で入手して、ようやく行程復元、とかの状況になっております。

 

 

  参考:JTB時刻表1983/07

     RM LIBRARY 264 105・119系 昭和50年代の1M電車

     鉄道ピクトリアル2012/04(No861)新性能1M国電