一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線80系普通電車9

1982/03/16 飯田線 三河槇原/柿平、633M、中部天竜

 飯田線南部ではよく知ら得た撮影地点。1976年と1978年では真夏の酷暑時期。

そのため三河槇原は暑いイメージと重複。その後1度春に来たその時の画像になる。

飯田線南部区間でも日中は、戦前車と80系は半々程度に交互に走行と感じていた。

 この時は南部区間だけ。「青春18のびのび切符」が発売されたときでそれを利用。

信州ワイド周遊券中井侍より北は自由乗降区間、しかし南部は往復使用できるだけ。

そのため今回は重宝。費用削減で、この後北部区間でも何回も使用させていただいた。

学生の時期は、ヘビーユーザーと化してしまっていた。

 

1978/08/10、飯田線 三河槇原、627M、中部天竜行、クモハ54104

 前回タブレット走行授受で、授け側装置を提示したが、受け側の装置も見つかった。

ただし普通電車のため、実際に運転助手が投げ入れる場面の画像ではないのが残念。

三河槇原駅の上り豊橋側のホーム先端に設置。螺旋の先端に投げ入れることになる。

この駅では、通過する急行も左側走行のようで、右側のホーム側に設置されていた。

 先頭のクモハ54104は、残念ながらこの後の1978年半数置換時に廃車の対象。

伊那松島所属の旧型国電も、半数弱が置き換わってしまった。

 

  参考:飯田線の旧型国電(増補版)

     時刻表 1981/12、1978/07