一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線旧型国電最後の力走12(68420/54129)

1982/11/28 飯田線 川路/時又、245M 辰野行、
クハ68420/クモハ54129クモニ83103/クモニ83102

 朝の下り荷2041M/245Mは4両、中部天竜まで荷2041M、そこから245Mで客扱い。

荷物電車が後ろに2両、飯田線で一番気に入った編成で撮影優先、よって乗車は皆無。

基本は3両目クモニ13、最後部4両目クモニ83のはずが、今日はクモニ83が2両連結。

陽が短い晩秋の朝、この時は良く晴れており、雲一つ見られない画像になった。

この区間は、水害による川路駅の移転等があり、変わってしまった可能性がある。

 クハ68420とクモハ54129は、どうも良い画像があまりなく、苦しい再現ばかり。

走行中の画像でようやく何とか両側あつめられたが、ちょっと厳しい、です。

 

1983/03/05 飯田線 伊那松島、クハ68420

1982/11/28 飯田線 宮木、クハ68420

1982/03/11 飯田線 下島、クハ68420

 クハ68420←68094←55076(1940年製)

旧40系からの改造車で、客ドア間に窓が5個。末期では5両あり、平妻2両、半流3両。

この半流3両で、正面助手席側が1段窓1枚ガラス木枠は420のみ。(412/414は2段窓)

先頭正面が見えれば、区別は比較的容易。しかし停止しての正面の画像がなかった。

 

1978/08/09 飯田線 三河槇原、クモハ54129

1983/03/05 飯田線 伊那松島、クモハ54129

1983/04/10 飯田線 伊那松島機関区、クモハ54129

1983/04/09 飯田線 伊那松島機関区、クモハ54129

 連結面はなかなか見ることが難しい。車両基地であれば、可能性。

 

 クモハ54129←60102(1941年製)

行先表示板受けが窓下中央ドア左にあり、窓上端部ドア内側に種別表記枠がない。

よって区別は可能。上り向き奇数車に加え下り偶数車も入れて一大勢力になっている。

 

  参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、

     国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版

     時刻表 1982/09、他

 

 末期の伊那松島機関区所属の旧型国電は、クモエ21を除いて48両在籍していました。

今回12回目で半数24両まできましたので、少し再整理時間をかけたい状態になります。

順に、残りの24両(12回以上になる可能性)、荷物電車、他、を継続予定です。

その後は、1978年の半数置換前の頃、クモハ42やクモハ52など含めて考えたいですね。

ただこのころのネガの劣化が極めて厳しく、再現性に悪戦苦闘でかなり参っています。

それに比べて、1980年以降使用のポジ(ERやKR)は保存が良く再現しやすい傾向。

特にKRは極めて優秀です。昔からKRを使っていれば、と思ってもKRは安くなく困難。

また、BWはどうもネガが良くないものもあり、保存含めて難しさを感じます。

よって、あまりに厳しい場合は、先に大糸線/身延線/宇部小野田線かもしれません。

 

 いずれにしろ上記の状態のため、残念ではありますが、今回の様に見苦しい画像の

頻度も増加になるかと思います。

その場合でも、どうかよろしくお願いいたします。