北部では中途半端に思える区間運転があった。画像はその沢渡行の、戻り回送。
別に伊那福岡行も朝夕に存在、特定の通勤通学の用途があったのであろうか?
3月の山の上にはまだ残雪が残る。それを背景に、先ほど言った電車が戻ってくる。
短時間で2回撮れるのはありがたい。それにしても、伊那の春先の朝はまだ寒かった。
クハ68416←68026←55116←68002←68002(1936年製)
元々のクハ68からの改造車で、客ドア間の窓が6個あり。そのうち戸袋窓がHゴム。
クハ68416は先頭に幌が残っていた。しかし実際の使用はあったのであろうか?
1978年の半数置換以降は、クモハ61とクモハユニ64以外の運転室側幌は不使用のはず。
臨時列車などを想定したのであろうか?それとも4両貫通編成も想定していた?
クモハ54131←60104(1941年製)
旧40系からの改造車で、数的には多い車両になる。しかし、この編成の画像は貧弱。
先頭に出にくい車両が、上り奇数車下り偶数車それぞれ存在したが、上記は無関係。
縁が薄かったのか、気合不足なのか、あとあとで片側のマトモな画像の欠落に直面。
両側ともに撮るのは結構困難と感じてしまいます。
参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、
国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版
時刻表 1981/12、他