一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線80系普通電車8と165系

1982/03/11 飯田線 伊那新町、239M上諏訪行80系と、4401Mこまがね1号天竜峡
クハ86339、クハ165-148

 伊那新町で右側の80系の下り239Mが、165系の4401M急行駒ヶ根1号の交換待ち。

飯田線に限らず、大糸線でも身延線でも、旧型国電撮影で165系急行にはよく遭遇。

手前の80系の特に300番台車は、後継165に比べ、見劣りするような感じがしない。

冷房がない点は夏は劣るが、それ以外は完成された電車のイメージすら覚えてしまう。

これは個人的な意見で当然別の意見もあろうが、戦前車と同じ年に廃車には違和感。

 

 島式ホームの伊那新町では、タブレット交換のため239Mは右側通行で入線停止中。

左側の4401Mは徐行で通過、運転席窓からタブレットを受け取った直後の様に見える。

 このころの単線区間の走行の急行は、タブレットの通過授受が良く行われていた。

急行が徐行で走行中に、運転助手が、前の区間タブレットを受ける装置に投げて、

次の区間タブレットを授ける装置から取る、事が行なわれていた。それが下画像。

 

1976/08/11 飯田線 城西、急行伊那8号(608M)通過

 城西駅を通過する上り急行伊那8号の運転助手が、まさにタブレットを取った直後。

タブレットを設置していた授ける装置の白いアームが上に上がっていくことになる。

画像ではそのアームが少し上がり、タブレットが取られた直後であることがわかる。

自動信号ではない時代は、駅にも運転要員が要、運転助手も要で、人手がかかる。

しかしそれが40年前の支線での急行では、毎日にように普通に行われていた。

 

 ちなみに、伊那8号の号車札は7にみえる。すなわち7号車。飯田線の最長編成。

豊橋/飯田間は伊那1/伊那8号は7両運転、飯田から辰野まで4両運転であった。

 

  参考:飯田線の旧型国電(増補版)

     時刻表 1981/12、1976/06