この区間は、天竜川と山に囲まれた狭い場所に線路がある。千代駅と金野駅は閑散。
撮影者にはありがたいが、なんでここに駅があって維持されているのか、少々驚く。
金野から少し道なりに上がった地点に見通せる場所があり構える。ここまで民家無し。
やがてやってきた253Mは、平岡発天竜峡行の2両。遠目でもクハ47の小窓が目立つ。
そして通過する電車がトンネルに入ると、元の静寂な時間に戻ったことに気が付く。
天竜川の水の流れが時折少し聞こえるだけ。本当に山奥を感じてしまった。
旧32系のクハ47のうちサハ48からの改造車は運転席側後ろ(4位側)にトイレあり。
クハ47069←サハ48015(1930年製)
旧32系の車両は小窓がぎっしりと並ぶ。客車のスハ32等と似ている点も感じられる。
このうち、サハ48からクハ47にとてもよく似た運転室取付改造車が051~である。
末期の飯田線には、もとからのクハ47009(トイレが助手席側後ろ、3位側)と、
改造車クハ47069(トイレが運転席側後ろ、4位側)が最終運転まで残っていた。
069は正面窓上に縦手摺が2本あり、客ドア4か所のうち3か所が2枚ガラスで区別可能。
1978年では正面窓が全部木枠であるが、その後運転席側のみHゴム化されていた。
1930年製、戦前の昭和一桁世代の現役車両。2列のリベットが歴史を語ってくれる。
クモハ54110←60038(1940年製)
クモハ54110は、旧40系(客ドア間に窓が5個)からのセミクロス改造車になる。
末期の飯田線では最大勢力になり、よく似た外観の車両がとても多いと感じる。
そのうち下り偶数向きは4両で、抵抗器/電気側が助手席側のため偶数設計に見える。
4両のうち、客ドアの戸袋窓がHゴムはクモハ54108とクモハ54110の2両になる。
行先表示板受けが110は窓下で中央ドアとなり、ただし右側で珍しい。(通常は左側)
なおクモハ54108は行先表示板受けが窓上で、両端のドア付近になる。
また108は、運転席側窓下でテールランプ上に修理跡(小型通風機塞ぎ撤去?)あり。
参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、
国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版
時刻表 1983/03、他