今回はクモハユニ64000と連結のクハ68412。4両編成の中間が多く先頭に出にくい。
2両編成になる運用は、平日土曜の朝の天竜峡/伊那大島間往復の237M/228Mになる。
5月の3連休のうち5月4日は土曜のため運転、土曜はまだ休日扱いではなく良かった。
半流のクハ68にしては、少々印象が異なるのは、どうも幌や幌枠がないからか?
末期の飯田線では、幌は撤去でも幌枠は残した車両が多かったため違和感があった。
運転席側2位4位側の停止しての撮影画像がなく、見苦しいものとなってしまった。
正面助手席側の窓は2段であった。正面ドアの幌枠が撤去されていることがわかる。
飯田線の旧型国電 増補版、によると、1978年の半数置換前は幌枠があった記載あり。
その後撤去された様である。
行先表示板枠が窓下中央ドアの左側ではなく右側にある。右側の車両は少ない。
さらに、運転室の乗務員用のドア上に、ヘッダーが見られる。通常は客ドア上のみ。
模型製作であれば、誤製作になりそう。1940年製クハ55083~092の10両については、
30系から80系までのP40に、乗務員ドア上にもヘッダーがある異端車の記載あり。
試作扱いなのか、帝国車両の製造現場判断の扱いなのか、本当に誤製造なのか不明。
旧型国電車両台帳から、該当10両の経緯をみると、飯田線の①クハ68412以外に、
②身延線、③宇部小野田線(以下宇部線)④(信越線)の撮影画像があることが判明。
確認で、3両とも①クハ68412と同様の、乗務員ドア上にヘッダーがある形態であった。
下は参考になるが、③のクハ55090(宇部線)になる。
塗装は異なるが、同様に運転室の乗務員ドア上のヘッダーが確認できた。
なお宇部線では、幌枠の車両は少なくこれが普通。旧40系の半流車でも、東京地区の
青梅線のクモハ40の印象から、茶色塗装では幌枠がない方が標準であると感じていた。
しかし、飯田線の2色の横須賀色では、逆に幌枠がある印象が強くなってしまう。
なお、宇部線(小野田線)については、今後いずれまとめたいと思います。
クハ68412←68106←55092(1940年年製)
参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、
国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版
時刻表 1983/03、1981/07他