一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線旧型国電最後の力走24(64000/68412)

1981/07/26 飯田線 北殿/木ノ下、226M 伊那福岡行、
クモハユニ64000/クハ68412/クモハ54129/クハ68420

 茶色のまま運用に入るクモハユニ64000。1978年の半数置換後に新たに転属配置。

その時から1981年後半まで茶色。撮れた画像はBWばかりでCL無し、とても残念。

クハユニと共通運用で使用されていたため、7両配置で6運用では確率は1/7になる。

 

1981/07/25 飯田線 伊那北、261M 辰野行、クモハユニ64000

 運転席窓はこの時はまだ木枠のまま。こののち浜松工場入場時にHゴム改造された。

同行者が後に、塗装変更はともかく、運転席窓のHゴム化を相当嘆いていた記憶あり。

 運転席窓下のジャンパーケーブルの受けが、どうも後から付けられたように見える。

1978年以前は下り偶数向きで使用らしく、飯田線使用の上り奇数向きとは異なる。

床下については、運転席側2位4位側は空気側、助手席側1位3位側は電気側、に思える。

下り偶数向き車両が、飯田線転入時に上り向きに方向転換の様である。

1981/07/26 飯田線 木ノ下、226M 伊那福岡行、クモハユニ64000

 

1980/11/29 飯田線 辰野、256M 平岡行、クモハユニ64000

 車内についてはクハユニ56と異なり、ロングシートで半室の広間のような雰囲気。

なお、客室の隣は郵便室、その先に荷物室のはずであるが、表記は荷物室であった。

豊橋/辰野間の長距離運用に頻繁に入るが、長時間のロングシートはどうでしょう。

 

1980/11/29 飯田線 辰野、256M 平岡行、クモハユニ64000

 そもそもクモハユニ64000であり、001ではないことから改番時は偶数車を想定?

あるいはクモハユニ64は全部偶数車設定で2号車も001を仮に想定であった可能性?

ただ、結局1型式1両であったため、勝手な妄想だけになります。

飯田線転属時に、クモハユニ64001に改番しても良かった???

 (上記は勝手な個人的な妄想レベルの意見のため、これ以上は控えます。)

 

  クモハユニ64000←44100←61001(1943年製)

 

 戦中に横須賀線の郵便荷物合造車として3両製造。電装部品不足でモーター無し。

その後1両001のみ電装された。形態的には客ドア間の窓が6個で旧51系に見える。

しかし戦中でロングシートで製造された。その後は各種改造を繰り返し、型式も変更。

車内座席セミクロス配置(ロングシートに戻る)、運転室増設、パンタ移動、他あり。

増設側運転室直後の窓が戸袋窓に注意。(新設では、この窓は通常戸袋窓にしない)

 資料では大糸線身延線、岡山地区でも使用。その後事業用の牽引車代用を経ている。

1978年の飯田線半数置換で、クハユニが6両配置のまま4運用から6運用になったため、

再び営業用に戻った経緯。クハニ67を廃車にしてその運用を統合したためになる。

しかしクモハユニを入れても、7両配置6両使用ではやりくりが大変であったと推定。

それにしても、一度事業用代用になった車両が営業に復帰とは、当時驚いた記憶あり。

 なお、モハユニ61として製造された3両中、最後まで電装されなかった他の2両は、

飯田線クハユニ56011と012になる。大元は同じであるため、形態がよく似ている。

戦前の配置された頃と同じく共通で使用された状態で、1983年の置換を迎えていた。

 

  参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、

     国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版

     時刻表 1981/07、他