茶色のまま運用に入るクモハユニ64000。1978年の半数置換後に新たに転属配置。
その時から1981年後半まで茶色。撮れた画像はBWばかりでCL無し、とても残念。
クハユニと共通運用で使用されていたため、7両配置で6運用では確率は1/7になる。
運転席窓はこの時はまだ木枠のまま。こののち浜松工場入場時にHゴム改造された。
同行者が後に、塗装変更はともかく、運転席窓のHゴム化を相当嘆いていた記憶あり。
運転席窓下のジャンパーケーブルの受けが、どうも後から付けられたように見える。
1978年以前は下り偶数向きで使用らしく、飯田線使用の上り奇数向きとは異なる。
床下については、運転席側2位4位側は空気側、助手席側1位3位側は電気側、に思える。
下り偶数向き車両が、飯田線転入時に上り向きに方向転換の様である。
車内についてはクハユニ56と異なり、ロングシートで半室の広間のような雰囲気。
なお、客室の隣は郵便室、その先に荷物室のはずであるが、表記は荷物室であった。
豊橋/辰野間の長距離運用に頻繁に入るが、長時間のロングシートはどうでしょう。
そもそもクモハユニ64000であり、001ではないことから改番時は偶数車を想定?
あるいはクモハユニ64は全部偶数車設定で2号車も001を仮に想定であった可能性?
ただ、結局1型式1両であったため、勝手な妄想だけになります。
飯田線転属時に、クモハユニ64001に改番しても良かった???
(上記は勝手な個人的な妄想レベルの意見のため、これ以上は控えます。)
クモハユニ64000←44100←61001(1943年製)
戦中に横須賀線の郵便荷物合造車として3両製造。電装部品不足でモーター無し。
その後1両001のみ電装された。形態的には客ドア間の窓が6個で旧51系に見える。
しかし戦中でロングシートで製造された。その後は各種改造を繰り返し、型式も変更。
車内座席セミクロス配置(ロングシートに戻る)、運転室増設、パンタ移動、他あり。
増設側運転室直後の窓が戸袋窓に注意。(新設では、この窓は通常戸袋窓にしない)
資料では大糸線身延線、岡山地区でも使用。その後事業用の牽引車代用を経ている。
1978年の飯田線半数置換で、クハユニが6両配置のまま4運用から6運用になったため、
再び営業用に戻った経緯。クハニ67を廃車にしてその運用を統合したためになる。
しかしクモハユニを入れても、7両配置6両使用ではやりくりが大変であったと推定。
それにしても、一度事業用代用になった車両が営業に復帰とは、当時驚いた記憶あり。
なお、モハユニ61として製造された3両中、最後まで電装されなかった他の2両は、
飯田線クハユニ56011と012になる。大元は同じであるため、形態がよく似ている。
戦前の配置された頃と同じく共通で使用された状態で、1983年の置換を迎えていた。
参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、
国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版
時刻表 1981/07、他