5月3連休最終日夕方の新宿行き急行こまがね4号は、人でいっぱいのように見える。
当時の飯田線の急行電車は、長距離の旅行客のニーズにそれなりに応えていたと思う。
しかし前年全線開通した中央道の高速バスの勢いが、次第に増していくまさにその頃。
最終的には残念ながら、新宿行の飯田線直通電車は、廃止となってしまった。
最初の画像の撮影地点と、概略近い場所でありながら、2か月の差で印象が別。
まだ寒々しいというか、伊那谷の春はまだ寒い感じを受けてしまっていた。
同じ時期の午前の撮影のため、東側から雪の中央アルプスを背にしての画像になる。
晴れた日に見える遠くの山々は、とても美しい。
この時は伊那松島機関区に1日2回訪ずれて、車両中心の撮影ばかりであった。
その合間に、伊那松島近傍での撮影となっていた。
この画像は少し時期が異なり、伊那8号は大垣行ではなく美濃赤坂行になっていた。
しかし、上諏訪で美濃赤坂行と言われて、すぐに理解できなかった人もいたのでは?
直通する乗客は、おそらく皆無に近かったと思われる。
急行伊那の撮影では正面ドア上の表示が白幕ばかり。急行表示はとても少なかった。
参考:時刻表 1983/03、1981/07