一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線165系急伊那こまがね 82-12

1983/05/05 飯田線 伊那松島/沢、4408M 急行こまがね4号、新宿行

 5月3連休最終日夕方の新宿行き急行こまがね4号は、人でいっぱいのように見える。

当時の飯田線の急行電車は、長距離の旅行客のニーズにそれなりに応えていたと思う。

しかし前年全線開通した中央道の高速バスの勢いが、次第に増していくまさにその頃。

最終的には残念ながら、新宿行の飯田線直通電車は、廃止となってしまった。

 

1983/03/05 飯田線 伊那松島/沢、608M 急行伊那8号、大垣行

 最初の画像の撮影地点と、概略近い場所でありながら、2か月の差で印象が別。

まだ寒々しいというか、伊那谷の春はまだ寒い感じを受けてしまっていた。

 

1983/03/06 飯田線 木ノ下/伊那松島、604M 急行伊那4号、豊橋

 同じ時期の午前の撮影のため、東側から雪の中央アルプスを背にしての画像になる。

晴れた日に見える遠くの山々は、とても美しい。

 

1983/04/09 飯田線 伊那松島/沢、608M 急行伊那8号、大垣行

 この時は伊那松島機関区に1日2回訪ずれて、車両中心の撮影ばかりであった。

その合間に、伊那松島近傍での撮影となっていた。

 

1981/07/25 飯田線 伊那松島、608M 急行伊那8号、美濃赤坂行、クハ165-179

 この画像は少し時期が異なり、伊那8号は大垣行ではなく美濃赤坂行になっていた。

しかし、上諏訪美濃赤坂行と言われて、すぐに理解できなかった人もいたのでは?

直通する乗客は、おそらく皆無に近かったと思われる。

 急行伊那の撮影では正面ドア上の表示が白幕ばかり。急行表示はとても少なかった。

 

 

  参考:時刻表 1983/03、1981/07