一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線旧型国電最後の力走9-3(56002/51200)

1982/03/09 飯田線 温田/為栗、1226M 豊橋行、
クハユニ56002/(クモハ51200)/(クモハ51029)/(クハ68400)、(推定)

 為栗駅を降りて、すぐ近くの天竜川の橋を渡り、その渡り終える少し前で構える。

次に来るのは1226M、しかしどこでシャッターを押そうか迷っているうちに音がする。

とりあえず押してしまった画像が上。微妙な位置で、一応よさそうに思えた。

 拡大して、1両目の客ドアが少なくとも2枚ガラスがあるためクハユニ56002となる。

2両目はクモハ51200かクモハ50008に見える。翌日確認で51200と判断できた。

3両目と4両目は全く見えず、翌日みた別の運用から推定。

 

 それにしても本当に山中、人家が見当たらない。そもそも為栗駅前ですら閑散状態。

この辺の「超」閑散駅に、実際に降りてしばらく滞在した方は当然理解と思うが、

その閑散度は、普通に思う駅前という言葉のレベルからは想像を超えてしまうほど。

飯田線の前身の旧三信鉄道(三河河合/天竜峡)は、よく鉄道を開通させたと感心。

それ以上に、山中の閑散状態の小駅が当時ですら残って維持されていたことに驚く。

 どうも道路整備が追い付いていないため、旅客/郵便荷物ともに需要有りらしい。

この区間の中心駅は平岡になるか、朝夕は通勤、それ以上に通学の需要で混雑経験。

将来道路整備が行われたら、小駅の大半は廃止になる可能性を想像してしまった。

しかし2024年3月では、いまだに飯田線の駅は当時と同じ数が維持されている。

廃止できない理由があるのか、JR東海のやる気があるのか、部外者にはその辺は不明。

そのため、山間の超閑散駅に乗降できるという貴重な体験が、当面可能になっている。

 

  参考:飯田線の旧型国電(増補版)のP65運用表

     時刻表 1981/12