一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線旧型国電最後の力走28(83103)-3

1980/11/29 飯田線 飯田、1222M 豊橋行、クモニ83103

 今回は③1222Mのクモニ83103から。

どうも1222Mのクモニ83103の走行画像の良いものがないため、停止中の画像から。

上り第2エンド側の浜松工場入場記録位置や、二番目の乗務員ドアの縦手摺が特徴。

 

 今回は荷物表記の位置について、まず、下記の1976年の画像との比較を実施。

1976/08/11 飯田線 豊橋、1222M到着、クモニ83103

 クモニ83103の荷物表記の窓位置が、左奥側の下り第1エンド運転室側からみて、

  1980年:2番目と7番目の窓下に荷物表記があり。

  1976年:2番目と5番目の窓下に荷物表記があり。

明らかに、荷物表記の位置が異なっている。

 

 同様にクモニ83101も異なっていたことは既述、以下再掲載になります。

クモニ83区別(再掲載)

 自分が一番なじみがある1980年から1983年では3両とも表記位置で区別できていた。

しかし、時代をさかのぼると、どうなるのであろうか?

 そこで、モユニ81(1950年製造)から過去の文献と腕の画像確認を実施。

以下参照ください。一部不明や推定もあります。間違っていたら今後修正いたします。  

 

クモニ83101/102/103の荷物表記経緯

  ※上記は主な資料であり、上記以外にも画像確認ありです。

 

 1950年新製後には、東海道線の下り先頭で使用、下り側運転室を主運転室として、

第1エンド、偶数車としたらしい。それの画像からは、表記は4か所見られる。

 1/2窓下は郵便、3/4と5/6窓下は荷物、8番目の窓下にも表記があることがわかる。

しかし下り先頭側からの画像が多く、8番目の窓下の表記は読みにくく判別に苦労。

「魅惑の国鉄カラー湘南色」で、上り第2エンド側からの画像あり、しかし少し微妙。

どうも車掌、と読めそう? ただし間違っていたら申し訳ございません。

なお同じ資料でイラストがあり、そこには8番目の窓下は荷物表記でした。

 

1961年の更新で、8番目の窓下の表記は消去されたようで、結局3か所になる。

1968年飯田線転属直後はクモユニとして使用で、表記は3か所のまま。

1969年のクモニ改造時に郵便表記も消され、3/4と5/6の荷物が二か所らしい。

 83101は1980年7月までこの状態で、その後に2番目と6番目の窓下に変更。

  83101の荷物表記で、3/4と5/6等の記述が多いのはこのためと思われる。

   自分には2と6で他車と判別が容易と思っていたが、それは末期3年だけらしい。

  83102は、自分が調べた限りでは、3/4と5/6以外の画像が発見できず状態。

   よって、正統的には83102が一番該当のように思える。

  83103は少々複雑。改造直後は不明。1971年には2番目と5番目の窓下画像あり。

   その後短期間?4番目と6番目の窓下画像あり、その後また2番目と5番目に戻る。

   さらに1978から1980年頃にさらに変化、2番目と7番目の窓下表記であった。

   自分にはこれが、一番なじみが多い表記になっていた。

 

  なお調べた範囲では、空気側電気側ともに表記位置は同じで、異なる例は未発見。

 

 という状況のため、荷物位置からの車両番号区別は、撮影時期を慎重に確認要です。

なぜこのように変化があったのか、詳細ご存じの方が居りましたら伺いたいですね。

とくに1980年前後で3両とも異なった経緯等あれば知りたいともいます。

なお間違い等あれば、申し訳ございません。今後修正いたします。

 

 

  参考:決定版 旧型国電車両台帳

     国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、

     国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(下)

     ガイドブック最盛期の国鉄車両2戦後型旧性能電車

     写真で綴る 飯田線の旧型国電 増補版

     飯田線 旧型国電等(上)二扉車・合造車

     ザ・ベストNゲージ旧型国電 珠玉のNゲージ作品集

     魅惑の国鉄カラー湘南色

     復刻板 旧型国電国鉄客車ガイド

     旧型国電50年Ⅱ

     JTB時刻表1980/07、1978/07他