当時の飯田線では2両編成は比較的少なめ、2両の1230Mは伊那松島から4両で運転。
旧型国電の最終運転まで、あと3か月半。よく戦前車がここまで残っていたと思う。
同行者に晴れ男がいたのか晴れが多かったが、明鏡止水、には少し及ばず。
それにしてもコダクロームKRの再現性が良く、本当に当時を思い出させられる。
クモハ50008←53006←43012(1933年製)、下り向き偶数車で偶数設計に見える。
当時ですら製造から50年、大阪→東京→飯田線で終焉を迎えることになった。
2ドア車であったが、戦後3ドア化された。中央ドア戸袋窓が他と異なる。
末期では、クモハ51200の外観がとてもよく似ているが、パンタグラフ(PS13)や
客ドア(6か所全部1枚ガラス)などで層別可能。
クハ68403←68003←55139←68025←59005(1933年製)
2ドアの旧二等室と三等室の合造車であったが、戦時輸送で3ドア三等車化。
「贅沢は敵だ」の掛け声とともに、優雅な旧2等室は廃止、戦時を語る歴史の証人。
末期に同型車クハ68405があるが、運転席窓下中央寄りに円型の大阪型通風機あり、
テールランプ下のステップがランプの真下にある、等で層別は可能。
参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、
国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版
時刻表 1983/03、他